▲このせいだ・・・絶対、これのせいだ・・・
美意識、というタイトルでブログを書いて、改めて他に借りた本に目を通す。
▲神話や聖書に限らず、現代的なあれこれも出てくるので調べ物というより写真集のような楽しみ方ができるよ!
・・・あ、どうしよう、楽しい。
これは、楽しいぞ。
似たような内容の大きな版の本だ。
どうやら私は写真や絵、形があるもの、ラインのうねりや太さ、フォルムを見るのが好きらしい。
文章を書くのが楽しい、と思っていたが、フォルムのあるものを見るのも好きなのだ。
(文章は楽しいとかいうよりも、最早書かずに脳内に留めておくと不健康な感じがする、に近い。)
知っていたけど、知らなかった。
どっちやねーん、という具合だが、そんな気もしていたけど、それを声に出して、好きなものの一つとして列に加えるの?という感じだ。
今日、明らかに、ワクワクした(お!)
体感的にもこれはワクワクで良いでしょう、と判断できる感覚があった。
わざわざ体感を意識するのは、自分の思考が強力すぎて感覚や気持ちを騙しっぱなしだからだ。
なので、巷にはびこっているワクワクすることをしよう党の党員ではない。
私は怠け者なので、そんなの指針にしたら人でなしにしかなりようがないということは頭も体も知っている。
(すでに人でなしだ、という声も聞こえてきそうだ、が、今はかろうじて人としての原型は留めているつもりだ(ドヤァ)
理性的、且つ責任感があり、常識や思いやりのある人間ができていらっしゃる方はワクワク全開でお送りしていただいた方がいいと思う。
私自身に対しても完全封鎖はしないが、理性と客観性の影響下において、ワクワク全開でお送りしていいことにしている。
自己責任の範疇、というやつだ。
声が大きいやつが勝ち!とばかりに思考が最優先、独裁政権、そんな雰囲気でかなりの年数生きてしまったので、気持ちや体感、快不快センサーがおかしくなっていたのだ。
それに気がついたのも最近といえば、最近だ。
今回の調べ物は、うだつが上がらず、二進も三進もいかず迷走状態の私の迷走経路の一つになりかかっている調べ物だったのだが、意外な産物があった。
◆写真や絵、フォルムを愛でることが好きだということ。
想像以上に夢中になって写真や絵を見ていることに驚いた。
おいおい、あんた、自分のことだろう?と思うが、言うまでもなく自分のことを意識して把握しようとしていなかったことが浮き彫りになった。
熱心に他人のことは把握しようとしていたのに、ね。
◆行き詰まるたびに丸まって眠る猫を見ては、幸せな気分になり頑張る気持ちになれたことを再確認できた。
ものすごく好きなんだな、とは思っていたが、それ以上に好きなんだな、猫が。
いや、今飼っている、一緒に暮らしている猫さん達が好きなのであって、他の猫でも・・・うん、幸せな気分になるから、私の想定を超えて好きらしい。
恥も外聞もなく、好きなのだな。
誰しもこれが好き、あれが好き、と思うことってたくさんあると思う。
が、それを意識して好きだ、と把握しているかどうか、と言うと、とても曖昧にしか把握していないのだろうな、と思う。
はっきりさせる必要なんてないし、理由もいらない。
そもそもそれで困らないし、生きていける。
なんら問題ない。
だが、これが好きだ、がはっきりすることがエネルギーを費やす部分においての羅針盤の役割を果たすなぁ、と気がついたときに、はっきりしていない漠然とした好き、嫌いは穴が空いたガソリンタンクにガソリンを注ぐことになりかねない。
自分のことを知らないで大事にしようとすると、漠然としていて効果的に大事にできないのではないだろうか。
なんか流行ってるし・・・、とか、まさにそれに当たる。
(流行っているものはそれなりに理由があるから、ハズレは少ないな、とは思う)
自分の好きなことくらい、わかっているでしょう?
意外とわかっていないものである。
豊かにいろんなものや出来事にあふれている現代日本において、クリアに好き嫌いを把握できていることって自分を助けるアイテムになる、と私は思う。
事あるごとに似たようなことを書いているような気もするけど、そう思った時、感じたときは、書いていく。
なぜなら、このブログは、思ったことを書いて、感じたことを書いて、忘れていくブログだからだ。
同じことを何度も今初めて気づいたような気になって書いていくのだろう。
あー、恥ずかしきトリ頭。
(刹那に生きすぎだ。そりゃ大人になれないわ。情けない。)
それでも、あーこいつまた忘れてらぁ、ばっかでぇー、とお付き合いいただけたらと思う。
調べ物そのものについては、もう二、三、事典を調べてまとめようと思う。
調べ物に手をつけたせいで、また、ヌルヌルと文章の中に、その世界観に引き込まれる不思議な感覚に陥ることができるカラマーゾフの兄弟に手をつけられない。
むー。
この短時間になかなかの分量の文章を綴れる程度に言葉が勝手に湧いてきて、自重することなくそれを公表してしまうことを躊躇わせないのが、「好き」の麻薬的な側面なんだろう。
上手に利用していけるようにしたい!
