ボヘミアンラプソディ。 | ジブン探検中。

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どう感じたか、どう思ったか、
書いて忘れていくブログ。

猫がかわいい。
それだけで感想を終わらせるのは
私としても不本意だ。

なので少しだけ昔の話もしつつ、
映画の感想を書こうと思う。

私が初めてボヘミアンラプソディーを
聴いたのは、フレディの歌うものではなかった。
友人がカラオケで歌ったものが初めてだった。
留学経験があり、自分でギターも弾く。
歌も整っている友人が歌ったボヘミアンラプソディーは
衝撃的だった。

こんな歌があるのか、という意味で。

音の世界観、曲の構成の自由度で頭の中が
いっぱいになって
こんな曲を作っているのがクイーンなのか。
そう思った。

なぜなら私の中でクイーンは
はばなぐったーいむ・はばなぐったーいむ
の人で、
どんどんチャッ・どんどんチャッ
の人で、
うぃーあーざちゃーんぴおーん
の人だったからだ。

今回映画を観るにあたって、
ボヘミアンラプソディを聴き、
歌詞を読んだ。
歌詞を読んで、こんなことを歌っていたのか、と
痛みすら感じた。
正直に白状すれば、それだけで泣けた。

フレディについて調べもした。
自身の出自、セクシャリティ、コンプレックス、
バックグラウンドを知れば知るほど、
ボヘミアンラプソディは
しみる。

そして、今日、映画を観て
痛恨の一撃をくらったのは、
孤独だった。

ああ、この人は自身の孤独に
無自覚なんだ、と思った。
無自覚であるときにとる行動の
あれこれは痛々しいものになる。
無自覚ゆえに繰り返したり、
いつまでも見えない原因のようなものを
埋めようと、消し去ろうと、もがかざるを得ない。
強制的な気分にもなるから
輪をかけて苦しくなる。

誰しも抱えうる、
スーパースターだから抱えるという
限定的なものではないな、と
私は思った。
ただ、ここまで大きな展開はしない。
派手で規模が大きいのは
彼がスーパースターゆえなんだろう。

だから、
ものすごく冷たい醒めた言い方をすれば、
自分を見失い続けた日々だった。
自分を見つめず、周りを見つめ、
自分が受け取らず、周りに与え続けた。
自ら枯渇する苦しい生き方をしてしまった。
仮に自分を見つめた時に自分に見える自分は
コンプレックスだらけで目も当てられない。
そこから代替案を探したが、
結局そこと向き合わないと、乗りこなさないと
生きていくのがしんどくなる。

そう考えると、そこら中、
フレディだらけになる。
そんな感じだ。

そんな孤独に蝕まれていた彼が、
一人じゃなくて複数の人間の化学反応を
追求するかのような音楽作りは、
観ている私にとっても救いだった。
幸せすぎて、楽しそうで、何よりだった。


宣伝文句にも出てくる
ラストのライブシーンは
圧巻だった。

私は音楽が好きで、
毎年フェスやライブに行っていた。
そのために仕事をしていた独身時代だった。
その時、体験した群衆の一部になる感覚。
周囲を冷静に見回した時の圧倒的な景色。
その場所にいるからこそ味わえる
言葉にできない感じ。

それを思い出しながら、
追体験した気分になった。
映画館で観るのがベストな作品だった。


ストーリーをメインで楽しむ作品としても
楽しめる。
ただ、ストーリーをメインにするとなると、
私は欲張ってしまう。
もうひと声、欲しくなってしまう。
クイーンの音楽があるからこその
このストーリなんだろう、そんな映画だった。