岩波版「鴎外全集第16巻」を読んで | 花鳥風月人情紙風船

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照る日曇る日第1402回

 

大正3(1914)年から5(16)年にかけて執筆、発表された創作13篇、翻訳2篇を納めています。鴎外は大正11(22)年に60歳で卒していますから、「高瀬舟」「寒山拾得」「津下四郎左衛門」「最後の一句」、リルケの珍しい戯曲「白衣の夫人」、P・ブルジェの小説の仏語訳「鑑定人」など、その晩年の心境が色濃く吐露された作物というてもよろしいでしょう。

 

されどなんというても一番の大作は、大正5年に119回にわたって現在の毎日新聞に連載された長編史伝「澁江抽斎」で、それが最終回を迎えた5月13日の13日後に、夏目漱石最後の未完の小説「明暗」の連載が、朝日新聞で始まったことになります。

 

さて鴎外が、なぜ江戸時代末期の青森藩の医者、澁江抽斎(1805-1858)に興味を懐いたかというと、それは彼自身が述べているように抽斎が本業が医師であるだけでなく、歴史、哲学、文学、考証、歌舞音曲にも広範な知識と好奇心を燃やした、少しく時空を超えた同好の士であったからでしょう。

 

鴎外は恐るべき博識と人的ネットワーク、寺社仏閣への掃苔などのフィールドワークを最大限に生かしながら未知の史実へのリサーチを敢行し、舌なめずりするように澁江抽斎の事績と人となり、さらに抽斎死後の後日談「壽阿彌の手紙」など末裔の末の末の行方までも、細大漏らさず記録していくのです。

 

そしてそのハイライトは武装した3名の刺客に襲われた抽斎を、「口には懐剣を銜へ、僅かに腰巻一つ身に著けたばかりの裸體」の、入浴中だった妻五百(いお)が、賊に熱湯を浴びせて救うという、まるで往年の東映映画のような眩い光景でしょう。

 

抽斎は様々な事情で4たび妻を迎えましたが、怜悧にして武芸を嗜む年下の美貌の妻を、安政5年に大流行したコロナ、ならぬコレラで急死するまで、生涯にわたって愛し続けました。

 

本巻に収録された「じいさんばあさん」にも、伊達騒動で被害を被った老夫婦の長い晩年が記述されていますが、これらの伴侶の理想の姿を描きながら、鴎外はもしかすると、若き日に涙を呑んで別離したあの「舞姫」のヒロインとの、もしかしたらありえた幸福な生涯について夢想していたのかもしれません。

 

 

ケンくんが母に贈りしカーネーション紅いお花が次々咲くよ 蝶人