今回は久々に『パワースポット紹介』をお届けしようと思いますが、内容はパワースポットの紹介とはちょっと違ってきます。
と言うか、『パワーのないスポットの紹介』となっています。
ただ、そんなスポットでもやっぱり役に立つ、ということをお伝えできればと思っています。
興味のある方は、読んでみてください。
神社には三種類ある
神社というのは本来、文字どおり神の社(やしろ)という意味があります。
霊的知覚にすぐれたむかしの人が、神様のいる場所(愛と調和のエネルギーの湧き出ている場所、パワースポット)にお社を建てて祀ったのがそもそもの始まりです。
ただし本物があれば、必ずニセモノもあらわれてくるというのが人の世の常ですね。
神社に関してもおなじで、人間のかってな思惑でなんのパワーもないところに建てられている神社も数多くあります。
人の霊を祀っている神社などは、ほぼ100%そうですね。
(たまたま建てたところがパワースポットだった、という偶然はあるかもしれませんが)
それからもうひとつ、破壊や争い、災厄といったマイナスのエネルギーを鎮めるためにお社が建てられて神社となっているところもあります。
むかしの日本人は悪霊や低級霊さえ、『死神』、『貧乏神』、『疫病神』といったように神様だと考えていましたからね。
というわけでちょっとややこしいのですが、神社には、神様が祀られているところ、かたちだけのところ、悪霊が祀られているところ、の3種類あるということになります。
ちなみに、この3種類の神社のどれにも、自分は神だとかん違いしている元人間の低級霊が住み着いていることはあります。
これに関しては、前回のブログ【バチは当たるよ!気をつけて!!】でもすこし触れましたが、本物の神様が祀られている神社にただしくお参りするぶんには、このような低級霊にとりつかれたりすることはないので安心してください。
というわけで、神社には3種類あるのですが、今回紹介する橿原神宮は、2番目の人間のかってな思惑で建てられたものになります。
パワーはないけど雰囲気はある
橿原神宮と言えば、年間100万人近くの参拝者が訪れる有名神社であって、甲子園球場約13個分という広大な敷地のなかに本殿や稲荷社、宝物殿があります。
また森林遊苑や深田池などもあり、市民の憩いの場としても親しまれているようです。
巨大な鳥居からつづく表参道は、両脇に木立がならんでいて、玉砂利を踏みしめながらそこを歩くだけでも、これから神様にお参りするんだという神聖な気持ちがわいてくることでしょう。
ただし、この橿原神宮に神様がいる(パワーがある)のかというと、残念ながらそうではありません。
ここはあくまでも、霊的知覚のない人たちの思惑でつくられたものになります。
なので、それほど霊的知覚のない人でもほかの神社とくらべてもの足りないとか、魅力を感じない、パワーを感じないという人も多いようです。
それに対して、この橿原神宮をパワースポットだと言っているスピリチュアル系の人もいるようです。
このように、評価が分かれてしまうのが神様のいない神社の特徴なのですが、それではなぜパワースポットでもないのにそうであるかのように感じてしまう人がいるのでしょうか。
それは橿原神宮のパワーを感じているというよりも、この神聖な雰囲気の影響で自分の意識が神様のほうにむかい、自力で神様のエネルギーを引き寄せているのです。
神様のエネルギーはわざわざパワースポットに行かなくても、どこにいても意識を向けるだけで流れこんできますからね。
というわけで橿原神宮自体は、パワースポットに建てられているわけではないので、そこに立っているだけで身体のなかにエネルギーが流れこんでくる、ということはありません。
ただし、ここは人間の思惑で作られているために、本物以上に本物らしい造りや雰囲気なんですよね。
だからパワーはないものの、神様に対して意識を合わせることで神様のエネルギーを心身に引きこむという練習をするには、最高の環境であるということは言えるのです。
もちろん、橿原神宮をつくった人たちはそんなことを意図していたわけではないでしょうが、『結果よければすべてよし』という言葉もあります。
『目にうつるものすべて、身体に触れるものすべてを神様の分身だと考えて感謝して使わせていただく』
そんな気持ちをもっていれば、どこに行っても、なにをやっても、つねに神様のエネルギーはいただけるものです。
そういった意味でも、全国にある神様のいない神社もありがたい存在なのです。
というわけで、今回はパワースポットではないけれど、パワースポットと同等かそれ以上のご利益(神様のエネルギー)をいただけるというお話でした。