真理を実践するのに禁欲生活は不要
前回のブログ【『花粉症は1日で治る』ってホント?】では、花粉症になる原理とそれを治す方法についてお話ししました。
カンタンにおさらいすると、つぎのようになります。
【花粉症は体内で炎症がおこっていることが原因であり、その炎症を抑えるためには腸内にある酪酸菌を増やすことが有効である。
そして、その酪酸菌を増やすためには、酪酸菌のエサとなるフラクトオリゴ糖をしっかりとることが必要で、フラクトオリゴ糖を十分にとれば花粉症は、わずが数日で改善できる】
【ただし、砂糖(人工甘味料も含む)と質の悪い油や酸化した油は、体内に炎症を引き起こす原因となるので、それらを摂りつづけたままフラクトオリゴ糖をとってもほとんど効果は望めない】
そして欲望追求最優先で生きている人たちは、この後者のほうを実践することが難しいため、結局花粉症も治らず、認知症になるリスクのある薬にたよらざるを得ないことが多いという話でした。
ただ、これを読んで
『真理を実践して悩み苦しみから逃れるためには、結局、禁欲生活をしなければならないんじゃないか』
と思われた方もいるかもしれませんね。
でも、それは真理をきちんと理解していないための誤解です。
真理を悟った人間、真理にしたがって生きている人間は、禁欲生活などは一切していません。
もっと言うと、スイーツでも、ジャンクフードでも、カップ麺でもなんでも食べます。
こんなことを言うと、
『ええー。裏切られた』
と思われた方もいるかもしれませんね。あるいは、
『やっぱり真理を悟ると、毒を飲んでも健康でいられる超能力が身につくのか!』
と思われた方もおられるかもしれません。
それに対して、
『いや、それは当たり前だよね』
と思われた方は、真理をちゃんと理解されているか、もうすでに体得されている方でしょう。
これは一体どういうことなのか、まだ理解できないという方もおおいと思いますので、解説していきましょう。
真理にはふたつある
真理というのは、【霊の真理】と【肉体の真理】とがあります。
霊の真理というのは、この世とあの世とを貫いて適用される法則です。
それに対して肉体の真理というのは、この世だけで通用する法則です。
たとえば【毒を飲めば身体をこわす】というのは、肉体をもっているこの世だけで通用する法則なので、肉体の真理です。
だから、たとえ毒を飲んで身体をこわしても、どんな苦しく、つらい病気、症状にさいなまれていても、死んで肉体を脱ぎすてればその苦痛から解放されます。
それに対して、【地獄、餓鬼道、修羅道、畜生道、人間道、天道、極楽(天国)というのは生きている、死んでいるにかかわらず、自分の意識が属している世界のことであり、実際に存在している】というのは、霊の真理です。
だから、この世が生き地獄だと感じている人は、死んで肉体を脱ぎすてても地獄に落ちたままで、その苦しみから逃れることもできないのです。
これが肉体の真理と霊の真理とのちがいです。
そして真理を悟った人というのは、ただしく言えば、この【霊の真理】を体得している人のことを指すのです。
このような人は肉体がどのような状態にあっても、つねに意識は極楽にあり、喜びと安らぎのなかで生きています。
ですから極端な話、どんな難病におかされていようと、花粉症で涙や鼻水がたれ流し状態であろうと、意識は尽きることのない幸福感につつまれているんですね。
だから肉体の真理も知ってはいても、そもそも肉体への執着がないので、『身体を壊すからこれをやめよう』とか、『健康のために玄米菜食にしよう』などといったことを考えることはないのです。
ただしかん違いしてほしくないのは、真理を悟ると味覚も触覚も痛覚もマヒして、なにも感じなくなるとか、なにを食べても味がしなくなる、というわけではありません。
また、なにを食べても一緒だからといって、なんの調理もせず生野菜をガリガリかじって、お米も炊かずに食べ、塩をなめて、最後に水で流しこむ、みたいなこともありません。
真理を悟って欲望や執着と無縁に生きていると言っても肉体をもって生きている以上、24時間ずっと意識の100%が極楽の世界にいるというわけではなく、ふつうに人間界に意識があるときもあるので、『おなじ食事をするのならおいしく調理して食べよう』というぐらいの欲望はふつうにわいてきますし、そのていどの欲には従うことがふつうです。
(いつでも自在に無欲の境地にいくことは、余裕でできますからね)
だから、普段の食事はそれほどふつうの人と変わることはありません。
ただ、ふつうの人とおおきく違う点は、やはり欲望や執着のおおきさ、つよさです。
ふつうの人は、酒やたばこ、スイーツやジャンクフードなど、身体に悪いとわかっていても、欲望や執着にとらわれてなかなかやめることはできませんね。
悟った人であっても味覚はふつうの人となんら変わりはないので、職人さんや食品メーカーの開発担当者さん、外食チェーンの開発担当者さんなどが、おいしい物を作ろうと努力を重ねて開発したスイーツやスナック、揚げ物や丼ものなどを食べれば、当然おいしいとは感じます。
ただ執着心がまったくないので、【おいしい=食べたい】とはならないのです。
ここが決定的な違いになります。
大多数の人みたいに、おいしいから毎日でもそれを食べなければいけないとか、週に1回はどうしても欲しくなる、みたいなことはなく、日々の食事は『わざわざ毒を食べる必要はないよね』、『どうせ食べるなら、身体に必要な栄養素をとれるようなものを食べよう』といった基準で考えることになるので、必然的に病気になりにくく、健康で快適な生活がおくれるというわけなのです。
もちろんこれは、がまんしているとか、禁欲生活をしているということでは全然ありません。
またそれは、健康オタクや自然主義の人たちのように、健康的な食生活に執着しているわけでもありません。
ですから人からいただいたり、付き合いで店にはいったりしたときは、たとえ毒になるようなものであっても、ありがたく、おいしくいただくということになります。
家族や友人が誕生日パーティーなんかで『みんなでケーキを食べよう』と言って楽しんでいるのに『いや、ケーキは身体に悪いからわたしはいりません』と水をさすのは、自分の信条や肉体への執着以外のなにものでもありませんからね。
真理をなにも知らない人は、禁欲的な生活をしている人ほど偉い修行者だと思うようですが、実際は正反対なのですね。
いつでも自己を捨てて、流れに身をまかせることができるのが真の悟りを得た人なのです。
だから真理を悟った人であっても、いや、悟った人だからこそ、ふつうにスイーツやジャンクフードなども食べるというわけです。
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