地方紙に江戸時代までのこの地を通る街道・東浦路=道の記事が

掲載されていた。

    <伊豆新聞より>

 

    

 

当時の半島の街道は、三島から天城を越えて下田に至る<下田街道>が、

メインの街道だった。

東海道から湯河原・熱海を抜けて、半島の南岸を通る<東浦路>は、

下田までの近道だが、溶岩の台地・崖の多い裏道だった。

 

この道を吉田松陰が、「・・・黒舟を追ってこの道を駆け抜けた・・。」時から、

この3月で170年になると記事に記されている。

 

 

今は、国道135号線が通り、伊豆急線が下田まで開通して、この東海岸の

ルートがメインになっている。

<東浦路>は、大室山の溶岩台地では、沿岸の崖を避けて、少し内陸を

通っているが、熱海から下田まで、おおむね<東海岸・沿岸沿い>の道だ。

隧道・トンネル以外は、おおむね135号線が、<東浦路>のようである。

 

  松陰の駈けたる道に花吹雪