こんちゃろる☆
お久しぶりの更新です。
今日は持論と愚痴を少し。








元父親だった人と会う気は二度とない。という話をすると、
離婚して離れ離れになってるなら
会ってあげればいいじゃん
と言われることがある。それも私が両親から日常的に暴力を受けていた、被虐待児だったことを知っている上で、だ。
なぜそんなことを簡単に言えるのか。不思議で仕方ない。

これは持論だが、私は子供の人格は例えるならば、乾いたスポンジだと思っている。周りの人間や環境が与える水(影響)を吸収することで、その子の人格が形成されていく。
では大人ならどうだ。40年50年かけて水を吸収して構築された人格が、離婚してからのたかだか5年やそこらで変わることができるのだろうか。私はそうは思わない。

私が暴力を受けるようになったのは確か小学生半ばの頃だ。もう記憶は曖昧で、はっきりとは思い出せない。それから17歳で両親が離婚するまでその生活は続いた。
私は一度、左耳の聴力を失っている。父親に叩かれたことによる、外傷性の突発性難聴だった。幸い服薬で日常生活には殆ど影響のない程度までに回復したが、到底許せることではない。しかし"殆ど"ということは勿論、完全な回復ではない。
私は音が多い場所で聴きたい音を拾うことが難しい。当時の難聴の後遺症みたいなものだ。居酒屋なんかのたくさんの話し声のある場所で、自分が話している相手の声だけを聴き取るなんてことは特に困難だから、会話の途中で何度も聞き返してしまうことだってある。生きる上では問題がない、というだけで、正直なところ非常に不便だ。

そんな私の人生に悪い影響だけを残したあの人に、今更会う意味がどこにあるというのか。
会う理由が見当たらない。メリットなどあるわけが無い。寧ろあるのはデメリットだけだろう。

家族の代わりはいない、なんてよく言うが、そんなのは所詮家族に恵まれた人間の絵空事だ。
額面通りに血縁者という意味での家族であれば、確かに代わりはいない。だが身内のように気心を赦せる友人なんかは存在し得る。実際に私がそれだ。

家族が居ないなんて可哀想?
では貴方は殴られ蹴られることが当たり前の家族の下で暮らすことが幸せだとでも言うのだろうか。巫山戯るな。
私はまともな家族を切り棄てて、友人との時間に充てるようになってから、自分の生活も精神も豊かになったと思っている。
家族が居なくとも満たされた生活を送ることができている。
家族が居なくとも生きていかれる。私がそうして生きている。それが紛れもない事実で現実だ。

死のうとしたことの無い人間は、自分の物差しだけで簡単に人の幸せを決めつける。こちらもそんな偽善は求めていない。異なる価値観を持つ人間を許容できないなら放って置いてくれ。それが本音だ。

おやすみ世界。