新生児仮死で生まれた娘が、2歳になりました | log.umi( ´ ▽ ` )ノ

新生児仮死で生まれた娘が、2歳になりました




先月、娘が2歳になった。
2歳になってようやく、母親の私に
心の余裕ができるようになった。


生まれた直後に起きていたことや
それからの成長を見守る日々を
中々まとめて文字にすることができず、、
2年経った今ならできそう。


文章にすると長くなりそうなので
結論から言うと、娘は新生児仮死で生まれて
脳への影響や発達遅延の可能性を
指摘されていましたが
2歳の現在は、大きな発達遅延は見られず
毎日とても元気に過ごしています☺️



もし、産後に同じような状況で
悩んでいる人がいたら
少しでも何か情報になるように
生まれた頃のことから書き残します。






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34w5dの、2020年10月28日夜中に前期破水して
10月29日の午前中に生まれた娘。


生まれて産声をあげたけど
すぐに泣かなくなって
新生児科の先生が沢山集まっていた。
体感は5〜10分位泣いてなかった


怖くて助けて欲しくて
必死に何してるか見てたけど
産後の私の処置が進んでいたから
何も聞けずに娘がいる所を見てた。
処置が終わって
助産師さんが連れてきてくれた娘は
赤くて小さくて、その時は息はしていたと思う。
そのまますぐに娘はNICUに連れて行かれた。


産後2時間は分娩室のベッド横たわっていて
側に来てくれた旦那さんに
娘が泣いてない時間があった、、
もしかしたら娘に何かあったかもしれない
と話した記憶がある。



2時間後にNICUに行くと
酸素マスクをして、色んな機器がついた娘が
保育器に入っている。
生きてた、、良かった🥺🥺
でも色んな機器が付いてるのは何?
が初めて娘と対面した感想だった。



看護師さんと医師の方から説明を受ける。
娘は生まれてすぐ、10分位呼吸が苦しかった
処置をして、今は自発呼吸ができているが
呼吸が整うまではNICU、GCUで娘は過ごす


ただ、と医師が間を置く


娘さんは息が苦しかった時間がある。
現時点では特に大きな異常はないが
脳に酸素が届きにくかった時間があるのは事実なので、後遺症や発達遅延の可能性はある。
特に34週の早産児だから発達はゆっくりめなのは
覚悟してください。と言われた


これを言われた当初の私は
ただ早く産んでしまって、呼吸が苦しい思いをさせてしまったことが申し訳なかったけど
この「発達はゆっくり」は
その後何度も釘を刺すように指摘を受けます。


自分の病室に戻り、娘の治療計画表を見ると
娘の病名は「新生児仮死、呼吸窮迫症候群」と書いてあった。


仮死、、そんな
娘、、本当に苦しい思いさせてごめんと
この時産後初めて涙が止まらなかった


産後の夜、寝るべきなのに
携帯でずっと調べていて
病気のことや同じ状況のお子さんのブログを見ていた。悲しくてしょうがなかった


私は事情があって、完ミルク育児に決めていたので、産後母乳をすぐに止めた。
だから搾乳はないし、娘はNICUにいるから
側に誰もいない、、みんなは赤ちゃんが側にいるのになんで、、私も娘と時間制限なくずっと一緒にいたい。と思いながらも
看護師さんや助産師の前では気丈にしていた。
夜中1人で調べてまた不安になって眠れない日々だったな。


1日3回の面会をしながら
6日間入院していて
娘の状況は、酸素チューブが外れたと思いきや
次の日はつけていたり、酸素濃度が上がったり
黄疸が出たりと一進一退だった
SPO2が下がってアラームが鳴る時が
1番不安だったな😭
それでも抱っこできる日は
面会時間ずっと抱っこしたり
ミルクを注射器で注入したり
保育器の中でオムツ変えさせてもらったり
(本当難しかったけど、当時頑張って覚えようとしてたな。今思えば、上手くできなくても
あんなに気に病まなくて良かった。産後メンタルは辛いですね)


生まれて6日後、私は退院。
だけど娘は状況が安定せず
娘を置いて退院になる。
退院すると、娘との母子同室ができる日まで
娘とは基本的に面会できない。
いつ頃退院予定か?と聞くと
今の感じだと出産予定日頃になるかもと言われたのを覚えている。


完全に会えなくなってからは
自分の半分がいなくなった感覚で
何もやる気が出ない
無気力で1日を過ごした


それじゃだめだ。
娘が退院してからの生活基盤を整えようと
奮起できるまで数日かかったと思う。


幸い、娘の状況は安定しだして
2週間程で娘も無事に退院が決まり
母子同室を経て退院することになった。
母子同室の日に2人になったとき
「もう離れないでいいんやね、ずっと一緒にいようね🥺会いたかったよ娘」って
何度も何度も娘に言ったなあ☺️
この先例えどんな病気や、発達遅延があっても
一緒に頑張って生きていくと
改めて誓った母子同室だった。


長くなるので
退院後の日々は次の記事にします。