(過去記事1)の続き


恋愛は結局は性的魅力ではじまり終わる。


若さと経験のバランスである。

文化的には女性は若さ、男性は経験に置かれる。

これは太古からの遺伝子に刻まれた本能ではなく、文化的なものであるが、現在はかなり支配的ではある。(過去記事5)後半で童貞の概念成立と童貞の価値低下はかなり最近(1970年代以降)成立した文化であることを書いた。


 恋愛力も試験力も結局は


(地能力)x(経験)


である。

 そして(地能力)がとても大きい。

 福山雅治は天賦の地能力を持っていて、アインシュタイン稲田が超えることはあり得ない。


 今まで地頭論として、試験力では特に(地頭力)が大きいと主張してきた。

 識字率が低く義務教育が施行されていない社会であれば、1人だけ家庭教師をつけて学習経験を積めば、頭角を出すだろう。地頭の良い人たちが力を発揮する場も与えられぬまま。

 しかし現代日本においては教育は十分に普及している。地頭に恵まれている人が成人期まで試験システムで吸い上げられないのは稀である。

 よって実際は、(経験)よりも(地頭)でほぼ決まることになる。


 恋愛結婚力はどうか。

 試験力については国をあげて(経験)の機会を設けているのに対し、恋愛結婚力については、(経験)は個人にまかされている。


 恋愛結婚力としての(経験)をつませるビジネスは殆どない。

 

 当人に恋愛婚活力に向上心がなければそのまま振り落とされるだけなのだ。

 例えて言えば、試験はあるのに模範解答は示されず、教科書も教育機関もない世界なのだ。

 そしてその試験は問題ごとに丸バツは付けられず、総合点だけで不合格とされる。不合格となったものは合格点まであとどのくらいかが分からない。


 童貞のまま恋愛経験が無ければ、女は全力でその事を嗅ぎつける。そしてますます出会いが遠のくのだ。風俗店などはいくら行っても経験として積み上がらない。短期の出会いでも経験にはならない。その関係性では女性から「こう楽しみたい」という率直な反応が出てこないからだ。心の通える異性と長期間交際することにより性経験は積まれる。お互い快感を得るために努力し合い教えあうことで上手くなって行くのだ。本当に感じているかの感覚は信頼ある関係性の上でなければ成り立たない。

 そうやって経験を積んだ男性は、モテるオーラを漂わせる。女性がそばにいて安心して身体を任せられる空気をつくるのだ。



 紀州のドンファンは美女4000人に30億円貢いだという。そんな関係を4000人と結ぼうと性行為体験は深まらない。年百人のペースで40年間。誇張なんだろうが、これを聞いて殆どの女性は嫌悪感を示すと思うが、この本を読んで感心する男性の人生はどんなものなのだろうか。あのような死に方をしても可哀想だと同情する人は少ないと思う。若い時に充実した性体験がなく生涯なかったのかもしれない。



 天賦の地能力のあるイケメンには叶わなくとも「教育」によってそこそこのところまでは多くの男性が行く。どう考えても全く恋愛結婚力における教育とか意識が足りず、少しの努力だけでだいぶ向上するのが明らかなケースは多い。しかしそれを指摘すれば(過去記事2)のようなバッシングを受けるので、ますます周りは誰も言わない。


 (過去記事3)で、女性は結婚までの距離は遠くとも恋愛までの距離は短くできると書いた。若さゆえの理由と経験豊富な年上男性の巧妙さから性体験が豊富な未婚女性は多い。逆に男の場合は、性経験が浅く女性を満足させた経験と自信のない未婚男性が多くなる。こうなるとオスみメスみの点から恋愛にはなりにくく、なったとしても女性を性的にはがっかりさせることになる。ただその場合は失望していることに男性は気が付かないので、その点は妥協して結婚することになろう。性生活の充実に重きを置かない淡白な男女同士なら結婚までいくしその後も問題なく結婚生活を送るだろう。

 だが、充実した性生活があれば殆どの場合夫婦関係の全てはうまく行く。夫婦関係がうまくいってないのに性生活だけ充実することは殆どないだろう。見かけ上亭主関白でうまくいっている夫婦は夜の生活では、夫は妻を性的に満足させているはずだ(一方向的でなく双方向になるだろう)。体力の話だけでなく思いやりの気持ちがあるはずだ。

 結婚という紙の上の契約を実質的に有効にするためには、オスとメスとの実質的な精神と肉体の関係性が重要である。

 経験ある男が恋人である女を捨てる時には、「別れてくれ」とは言わない。性生活で手を抜くのだ。他に女がいればそちらに興味があって別れたい女とは回数も質も下がる。女は本能的にそれが分かり、去ることがある。最初から性的に淡白な男であればこの作戦は成立しない。


 自分に性の魅力の自信がなければ、男は恋愛経験を積めないし、女は無謀な擬似恋愛を繰り返す。それによってますます自信はなくなる。

 学力や経済力などに焦点を絞った人生の先行きは男なら紀州のドンファンとなる。女の場合バチェロレッテ3も示唆的だ(過去記事4)。


 試験力の啓発は社会で既に強化されすぎている。

 親が幼少期から、オスみメスみを意識した「教育」をしておけば、だいぶ違うケースは多いのかもしれない。

 そのためにも1番重要なのは親の夫婦仲である。夫婦で肌と肌で触れ合う機会を増やすことは重要だ。うちは玄関で夫婦で毎日数回接吻をするのが決まりだ。それだけで精神的にも満たされる。10回に一回くらいは子供らにも見られていると思うが、それが自然な姿なので何も言われない。喧嘩してないんだな、と思われるだけでも子供らに安心感は与えているとは思う。まあ結婚してからずっと毎日してることなので意図してたわけではないが、良い習慣だと思う。


 毎日のキスは欧米人にとっては普通の習慣。彼ら彼女らは本当に性行為自体を楽しんでると思う。寮の部屋のドアあけたまま大学生男女で服の上から愛撫してたりする。前を通って用事を済ませて1時間くらい経ってからまた前を通るんだけど、まだ服着たまま愛撫し続けてる。とっくにドア閉めて脱いで交尾して終わってるかと思いきや、ずっと楽しんでるんだな。もっとも白人より黒人の方がもっと性に貪欲だと思う。米国では黒人男性と白人女性の結婚は黒人女性と白人男性の結婚の倍いるそうだけど、それは性的に魅力的な男性黒人が多いからではないか、と思う。経済力よりも精力の方がより魅力的なのかもしれない。まあこれは単なる推測。


 というわけで、この記事で言いたかったことは、恋愛結婚力において

(地能力)は最重要でありつつも

現在の日本の現状では(経験)の奨励が少ないので親から子への動機づけは有効だろうということ。



(過去記事1)


(過去記事2)



(過去記事3)


(過去記事4)



(過去記事5)