【講演】鳥取看護大学 『若干効果あるかもです!』(2023/07/15)

アイムチャンネル

上の動画の50:30で,映画ウォーキングデッドみたいに町にゾンビが大発生したら,悩みの殆どは消えてしまう,というようなことを言っていた.なるほどね,と思った.

 

いまはうつ病が増えているという.子供の将来とか親として悩みはあるけど,そんな悩みを考えるほど今は生活に余裕があるのだと思う.

 

 人類は長い間,飢えと寒さから逃れて生活することに日々追われてきた.考えようによっては貧乏って幸福だと思う.

金持ちで何不自由なく,子供も孫も配偶者もいなく,ただ一人で広い豪邸かホテルにずっと暮らしていたら,すごく不幸だと思う.何もすることは無い.ただ死を待つだけの日々.死ぬこと以外考えることが無い.テレビやYouTubeで寂しさを表面的に紛らわせて時間をつぶして恐怖から逃れるだけ.そりゃうつ病にでもなる.

 

 私が子どもの頃,冬は寒かったな.ファンヒーターもエアコンも無かった.石油ストーブはあった.でもストーブってストーブの近くで無いと温かくないんだよ.近すぎると熱いし.だから,ストーブの近辺か炬燵に入るしかない.朝起きると,布団で寝たまま吐く息が白い.寒くて布団の外へ出られなかった.

 

 寒さに凍え,飢えをしのぎ,その日の食料と水と住処を考える日々.それが幸福であるようにヒトの脳は出来ているのだと思う.

あとたまに人と助け合う.ただしこれはヒトに依存する.

 

 江戸時代は娘を処女のまま貞節守らせて縁談みつけるなんて武士とか豪農とか一部の金持ちしか出来ないことだったろう.村人は,だいたいが夜這いか村祭りの乱交で子供をこさえて村で育てていた.労働の義務もない.年貢は村単位であって,個人所得なんてなかった.個人に所得税なんて課せられていなかった.(過去記事1)

 

 そしたら,たいていの村娘は子供をもてたし,結婚相手が見つからないとか,婚期が遅れるとか心配することも無かったろう.

 

 また男たちだって,自分は独身で子供がいないなんて悩むことも無かったろう.自分の子どもはどこかにいるかもしれないし,いないかもしれない.子孫を残せるかどうかは,妻をめとれるほどの経済力とコミュニケーション能力があるかどうかではなく,性交した後の精子が他の男の精子と膣の中で競争できるかにある.男が女に愛撫をするのは排卵を誘発するためだ.女は生理を隠すことで,誰の子か分からなくし,それでかえって子を殺されずにすむ.

 

 

 小松左京の復活の日というSF小説(1964)・映画(1980)では,感染症で生き残った人間が男855人に対し女8人で,性交渉を政府が管理することになる.

 

 

 

 また,アタナハンの女王事件と言うものもある.1944年頃太平洋マリアナ諸島にあるアタナハン島に取り残された日本男性31人が唯一の女性をあらそって死人が多数出たという事件である.唯一の女性の立場になってみれば,ただ一人の男を選んでその人だけの子どもを産むなんてことは現実的ではない.排卵日を隠して意中の男とは排卵日に行為するものの本当の父親は誰なのか悟られないほうが自分のためでもあり子供のためでもある.

 

 恋愛は本能でしているものと思っていたが,恋愛はここ一世紀か1.5世紀前に欧州から輸入された疑似的宗教の一種であったとは.結婚も一生涯に一回だけしてずっと添い遂げるという考えも,現代だから出来ることであって,1.5世紀前の普通の村人であれば,そんなことは非現実的だ.特定の女を自分以外の男とは性行為しないように退けるのは,ものすごく難しかったはずだ.明治以前は家に鍵も無いのだ.

 

 女は父親に従え,結婚したら夫に従え,老いては子に従え,とは,金持ちと結婚できる上流階級の話だったのか.

嫁に出るまで処女として父親に守られ,良い縁談で結婚した後は,夫が妻を他の男たちからの性的誘惑から遠ざける.刀を持つ武士とか女下人を複数もてる金持ちだけだったろう.それでも当の娘・妻が淫乱だったら,どうしようもない.だからこそ女には貞節が求められた.女にしたって、自分が淫乱だと思われたら、良い縁談は無くなるし、結婚できても、夫や世間に、自分の子の父親が誰だか疑われてしまうわけだ。

 

 コミュニケーション能力の無いモテない男でも,江戸時代の村なら,一生童貞というわけではなく交尾できたろう.巫女がその役目をしたということもあったろう.子供をこさえることもあったろう.何しろ,子供たちに父親と言う概念はほとんどなかったのだろう.財産を持っていない父親に父親の意味は,子にとっても母親にとっても意味ないわけだから.

 

 

 

 

 童貞という言葉はとても新しいらしい.もともとは修道女を意味しており,現在の意味(成功未経験の男)に確定したのは,なんと1970年代以降だったとか.

 あの男は童貞だ,俺は童貞だ,などと悩んだりさげすんだりする文化はここ50年ほどなのだ.

 

 戦前はむしろ童貞は未婚男子の恥ではなく美徳であったという.(そしてそれは日本だけではなく欧米でも同じであった)

 面白いことに,1948年には,童貞訴訟がおこった.離婚訴訟の際,男は妻を訴えて,童貞喪失のための慰謝料を請求した.その裁判での結論は以下となった.(Wikiから引用)

 

「女子の貞操の喪失に対する社会的評価と男子の童貞の喪失に対する社会的評価を同一に評価することは法律上妥当しない」

 

 こうして,「処女」の価値観と「童貞」の価値観の乖離が見られるようになる。

 

 それまで童貞と処女の価値が同じだったことがむしろ驚きである.

 

 童貞が美徳というのは宗教的意味合いから来ているのであろう.無神論者なのに童貞は誇りで無く恥辱ということか.

 

 

 価値観は時代とともに大きく変わる.

 自分が物心ついたときにあった概念は,つい太古からあったものと勘違いするが,意外に新しいものだったわけだ.

 

(過去記事1)