(過去記事1)の続き


都知事選。


知事候補の石丸伸二氏が面白い。


動画を見ている。


考え方がはっきりしていてとても気持ち良い。


私には


石丸市長派 vs 市議会清志会


が、


ASD型 vs 共感忖度希求型


に見える。



閉鎖的空間ではね、忖度希求型が強いんだよ。

学校とか、今までの田舎の小さな議会

とか。


でもね、昔ながらの年寄り議員は気が付いてなかったかもしれんけど、


もう市議会は

閉鎖環境ではない。

だから、パワーバランスはASD側の方が強くなっている。


会議はネットで中継してるし、動画は全国民が無料で見れる。

透明なの。

 市長はその市に住み続けることに拘ってない。仕事として市長をやってる。


有力者に根回ししてご機嫌とることで政治を回すとか、そういうのは古い。

 誰もが見ている中で記録の残る環境で議論すれば良い。


 道の駅に無印良品が誘致できなかったのは清志会のせい。

 根回しとか手続きとか、議会は議会で言い分はあるだろうが、結局否決したのは議会だ。

 道の駅に無印良品が来なかったことを残念だと思うなら、責任は市長でなく、市議会にあるし、否決した議員とそれを支持した市民にある。


 18世紀にルソーらが民主主義の概念を発明した。

 民主主義は多数決ではない。利害調整でもない。

 人権主義がその中核にある。

 議員は自分の支持者らの利益を最大化するために政治を行うわけではない。そうであれば全ての層から代表者を選ばなければならなくなるし、マイノリティは常に敗北する。

 議員は自身の所属を離れ、超人的な視野で人権思想を持って市民全体のために、働かなければならない。

 (過去記事2)から引用する。


ルソーの言葉で言うところの一般意志が重要である。

 国会議員は、

自分はどの選挙民に支持されて国政に立っているか

を一旦忘れ、一般意志を持って議論に臨む。

 人とは国民とはどうあるべきか

 その原点に立ち戻って考えるべきと言う事である。

 国家の構成員全体が総体として持つ意志を一般意志と言う。


 田舎の小さな議会では、近世以前の思想でまだ動いてるんだな。

 だから市長と議長が同時に賄賂を受け取ったりする。そして一年もせずに再選されたりする。

 田舎だと民度も低いことがある。利権で動いていたりもする。

 

 田舎に限らないかもしれない。東京でも結構こういうことはある。


 これを正していくことが重要だ。


 一つ一つの政策を通すために、老害議員のご機嫌とってやってたら、らちがあかない。所詮はマイナーチェンジしかできないのだ。


 むしろ、老害議員を全国に知らしめて、選挙で議員の人選を一からやり直した方が根本的解決になる。


 恫喝があったとかどうとか、見てると結局虐めと同じ構造だ。確固とした証拠がない限り隠蔽しまくる。過去16年間にふたつしか議会が否決することはなかったのに、石丸市長の任期で沢山否決されているところからみて、恫喝していたとされる内容が実際に行われていたということは明らかだ。

 そしてその被害者は市長ではなく市民だ。議員は敵に報復するつもりで有権者の利害を損ねた。


 昔はね、子供の頃は、大人はみんな立派だと思ってた。

 教師も校長も教育委員会も議員も。


 でもそうじゃないんだな。みんなただの人間。


 自分がしっかりしなきゃだめなんだな。自分の責任は自分で取るしかない。


 政治家や学校や専門家が、税金やら代金やらを払ってさえいれば、あとは口をポカンと開けているだけで幸せを運んでくれるなんて、そんなことはない。




 



 




(過去記事1)


(過去記事2)