歴史系YouTube番組 コテンラジオ

の民主主義のシリーズをツレが聞いて、

夫婦で話して面白かった。

 

 

 民主主義とは何か?

 

 民主主義は思想であってシステムではない。仕組みではない。

 民主主義を実現する仕組みとして議会や選挙や多数決が出てくるが、その仕組みのことを指すわけではない。

 

 18世紀にルソーらが発明したとされる民主主義。これ以前にもイギリスでも古代でも議会はあった。しかしそれは民主主義とまでは言えない。

 それら議会でやっていた事は議員たちによる利害調整であった。

 今の日本でも、国会議員は選挙区民の利益を代弁するためとか、女性議員は女性らの利益や権利を獲得するために国政に出る、とか言うが、あれは様々な層の利害調整になってしまう。

 

 それは民主主義ではない。

 

 その論理で言うと、すべてのマイノリティの層から代表者を選ばなければならなくなる。多数決ではマジョリティが有利だ。

 ユダヤ人虐殺も少数民族排除も障害者断種も多数決で議会で決める事ができるし,実際やった.

 議会ではそんな事は起きうるが、それは民主主義ではない。

 

 ルソーの言葉で言うところの一般意志が重要である。

 

 国会議員は、

自分はどの選挙民に支持されて国政に立っているか

を一旦忘れ、一般意志を持って議論に臨む。

 人とは国民とはどうあるべきか

 その原点に立ち戻って考えるべきと言う事である。

 国家の構成員全体が総体として持つ意志を一般意志と言う。

 

 の視点に近い。民主主義は一つの思想、宗教、信仰なのだ。

 

 男、女という単語はどこの民族でも持つ。しかし男と女を総称する人間という単語を持たない言語は多くある。ピダハン語には無い.英語としてhumanが使われるようになったのは15世紀半ばから.

 一方で、数百年前まで年齢で子供時代を区切る風習は日本にも欧州にも無かった。

 人の分類方法は時代によって変わるのである。

 

 政治とは利害調整の場であった。自分を一人の人と見る見方はかなり最近の思想である。

 人には固有名詞すら無かった(あっても幼名とか地位の名で呼ばれたり一生の内でころころ変わる)。私の親世代でも田舎の兄弟姉妹同士は名前で呼び合わずに、住んでる地名で呼んでいた。住んでる地名や、どこそこの次男坊とか、どこの家の長男の嫁とか、関係性で表現していた。江戸時代井原西鶴の好色一代男(1682)でも主人公世之介以外の人物は名前で書かれない.好色一代女(1686)に至っては,主人公ですら老女と呼ばれ名前は無い.そういえば落語でもご隠居さん・若旦那・おかみさんを名前で呼ばない.

 江戸時代、沢山農民一揆が発生し年貢軽減が要求されたが、苗字を農民が要求した事はない。氏名は今でいうマイナンバーである。お上が徴兵制や徴税のために便宜上用意したものである。

 

 近世まで人は、自分のことを人間とは捉えず、周囲の人間との関係性で捉えていた。(そう言えば北里柴三郎も師匠の学説を論文で否定した事から帰国後ははぶられ帝大に就職できなかった。一科学者である前に誰々の弟子と捉えた)

 だから政治の場でも、自分と相手の社会的属性(立場)を常に意識し、利害調整になってしまっていた。

 

 それを補うかのように、教会など宗教団体は俗世から離れる(寺も教会も大抵は山奥にある).聖職者が世俗の人を捌く時は、聖職者は世間の人としてではなく、神の声を聞くものとして裁いていた。教会は役所や裁判所の機能もあった。日本が天皇と幕府の二重構造を持っていた一方で、欧州では教会と王権の二重構造を持っていた(日本でも例えば方広寺鐘銘事件で徳川家康は京都五山の僧を味方につけて豊臣家を攻撃した。)

 

 近世まで、政治と宗教と道徳と科学は明確に区別がなされていなかった。法とかLawという語は現在でも法律にも科学法則にも使う。(過去記事1)でもこの事に触れた。

 

 政治が宗教と完全に離れて聖職者ではない政治家が政治を行うと議会はかなりの暴力装置になる。

 それでルソーらの民主主義が出てきたわけである。そこには人権思想が入ってくる。

 

(過去記事1)