(過去記事1,2)で算数の解説をした.

長くて直感的な説明でなくて簡潔で論理的な説明.

この説明で分からない人には二つのタイプがいると思う.

(1)直感的な理解にこだわるタイプ

(2)分かることを(本能的に)拒否するタイプ

 

直感的な理解にこだわるタイプ.

割と多くいると思う.特に小中の頃.そして直感的な説明をして分かってくれると嬉しいし,分かったほうは,なんて分かり易い説明なんだ,と教師を評価する.

しかしこの手のタイプの人は,大学の理系に行くと苦労することが多いと思う.

大学以降の数学や理論物理学は直感では追いつけない.

直感に反したことを説明するために数学を利用するからである.

 原子・クオーク・弦などミクロの世界やブラックホールの近傍,光速・高エネルギーの世界,宇宙のはじまりなど,日常の古典力学的直観はもはやなりたたない.数学の論理だけが頼りになる.

 

 直感的理解を追求したくなる気持ちも分かるのだ.論理的ルールと証明が分かったところで,その論理世界の無矛盾性は担保されない.0+0=0と分配則を両立させると矛盾が出ることは分かるが,通常の有理数(整数に分数をいれた数)の世界で加減乗除を定義した世界で矛盾が起こらないことは保障されない.数を数直線とか複素数を複素平面とか,直感的なイメージに頼ることで,おそらく無矛盾であろうことに対し納得がいくのだと思う.

 無矛盾性というのは難しいのだ.

 私が馬鹿でないことを私は証明できない.

 ゲーデルらの創始した数学基礎論でそういったことは証明されている.整数を含む体系に矛盾が起こらないという事は,整数を含む論理体系内では証明することが出来ないのだ.(能力的に出来ないと言うより,証明文が存在しない.)ある論理体系Aの下で論理体系Bが無矛盾であることを証明しても、それはあくまでAが無矛盾であるという前提条件付きだ。(私が貴方は馬鹿でないという事を証明したとして、それは私が馬鹿ではないという仮説のもとでいえること)

 現在の我々が考えている論理体系に矛盾が無いことは信じるしかない.信仰である.現在誰も矛盾を見つけていないので見つからないだろうという信仰でやっていくしかない.もしも矛盾があるとしたら有限時間内に矛盾を導く計算機を作ることはできる.でも矛盾が無い時に矛盾が無いという証明は無い.

 

 整数,分数含め数理モデルはオセロや将棋や囲碁とおなじく,ルールのあるオモチャである.ルールを理解してその世界で遊び,それを道具として使って現実問題に応用する,ただそれだけである.

 

 英語でLawは法則だが,これは法律・掟・規律・科学法則,すべてを含む.つまりは,法律・道徳・倫理・科学はすべて昔は一緒だったわけだ.だからガリレイの裁判のように,教会が地動説の真偽に口を出していた.今では法律的に正しいこと,道徳倫理的に正しいこと,科学的に正しいことは,明確に区別して使い分ける.ダーウィン(1809-1882)の進化論でも宗教と科学を分けられない論争があったから,かなり最近まで明確には分けられていなかった.

 1965年まで日本人はキツネに騙されていたという説がある.

 

 算数は記号ゲームにすぎない(これが数学者内でちゃんと理解されたのは1900年ごろだ. 1800年ぐらいだと定義の曖昧な概念をもって誤った証明がよくあった).しかしそうと割り切らずに現実のリアルな実体と関連付けてそこから離れないのは歴史的な経緯による.割り切ってしまえばゲームと変わらない.だからこそ誰でも同じ答えが出るし計算機で実行でき、有用なのである。

 

 理由(2)は次回.

 

 

(過去記事1)

 

 

(過去記事2)