(過去記事1)について思う事.

 

当初は夏に打ち上げ予定であった.

それが冬の午後に変更され,

さらに冬の朝に変更された.

そして異常寒波が襲い,記録上最大のウィンドシアが襲った.

 

ちなみに過去9回のチャレンジャーの打ち上げは以下である.

1983年4月4日 宇宙遊泳

1983年6月18日 軌道投入

1983年8月30日 初の夜間打ち上げ

1984年2月3日13:00 命綱なしの宇宙遊泳成功.2つの通信衛星を軌道投入するが失敗.

1984年4月6日 太陽観測衛星の修理

1985年4月29日 Spacelabを運搬

1985年7月29日 Specalabを運搬

1985年10月30日 Spacelabを運搬

 

9回のうち冬の打ち上げは1回だけだった.ただしそれは午後13時だった.

冬の朝の打ち上げは初めてだったのだ.

そこへ異常寒波が襲った.

そして記録史上最大のウィンドウシアが襲った.

 

発射予定が1月24日金曜だった時でもまだ発車時刻は14時42分だった.

 

飛行が中断した際の緊急着陸地点(セネガルのダカール)が悪天候のため

緊急着陸地点をカサブランカへ変更したが,そこは夜間着陸地点用の設備が整っていないため,

発車時刻を朝9:37に変更したわけだ.

この判断をするときにOリングの温度の事は考えていたのだろうか?

 

また,大ブッシュ副大統領が視察をするという都合で,さらに

1月26日月曜に変更し,

さらに

船外活動用ハッチに不具合が生じ

1月28日火曜へ延期された.

 

今となっては,副大統領が視察するなんてのは,打ち上げ成功とは関係が無い小さな事だった.

しかしNASA幹部にとっては重要な事だったのだろう.

 

学校にとっても,運動会だの学芸会だのウェブページに載せられて見栄えの良い活動に

管理職は躍起になる.

 

しかし,打ち上げ成功か失敗で全乗員死亡かの決定的な要因は,Oリングの温度であった.

 

 学校だってそうである.

 重要なことは,現場の教員と生徒の個性である.サイコパスな生徒がいるか,いるなら誰か,

誰をターゲットとしているか,そんな素振りは見つけられるか,加害者を焚きつけるような生徒はいないか?

生徒の家庭状況はどうか.

 

 チャレンジャー事故は発射後73秒で空中分解をおこしたが,少なくともその5秒前まで誰も異変に気が付いていなかった.

 

 学校もそうである.いろんなことが起きていても,周囲はなかなか気が付かない.

現場にいない学校管理職は猶更である.

 

 あとから調査した結果,Oリングの温度が問題だったことが分かったが,

本当は他の部品でも設計通り機能しなかったものがいくつかある.それらは事故の主原因とはならなかったが.

 多くある技術的な細部のうち,どれか一つに不具合があると,致命的な大事故になるわけである.

 

 

 

(過去記事1)

 『チャレンジャー事故の詳細』(過去記事1)から何回か続けた1986年1月28日火曜アメリカフロリダ州チャレンジャー号爆破事故.   チャレンジャー事故の詳細 チャレンジャーは10回目の…リンクameblo.jp