(過去記事1)の続き.
汎用型人工知能(AGI),人工超知能(ASI)が発達すると,
計算機の知能は人間を超える.
ひとつのコンピュータネットワークが
一人の専門家の能力を超えるだけではない.
世界80億人の総人口の脳のトータルより,
人工知能が超えるのである.
Pドラッカー(1909.11.19-2005.11.11)は著書”マネジメント”(1973)で,
これからは肉体労働者の社会的地位が低下し,
(かつての身分的階級でなく)
知識労働者と肉体労働者の間に階級分裂が起こる
と予言していた.
そして,知的労働者の生産性が鍵,としていた.
しかし,ASIが現実となるとどうなるだろうか.
もう知的労働者は要らないのだ.
将棋AIが名人を超えたときに,渡辺明九段が言っていたので印象的だった言葉がある.
AIが指した手を見て,
こんな手をアマチュアが指したら,すぐにダメダメと言ってしまいそう.
でももしこの手が成立するとしたら,AIは現在の棋士を遥かに超える実力をもっている
と.
有能すぎるともうその優秀性すら評価不能になるのだ.
国家が,膨大な知識体系を(医学だとか法学だとか)分割して,個々のパーツ(分野)を別々の人間に配分して,ライセンスを渡して(近代的知識)ギルドを形成し,素人が彼らライセンス持ち職業専門家へ知識を授けてもらう,
という社会モデルが総崩れする.
もう知識を分野に分割することは無いのだ.
ひとつのコンピュータシステムになんでもかんでも客観性再現性のある知識は詰め込んでおけばよい.
機械は死にもしないし眠りもしないし忘れもしない.
というわけで,もう専門知識を得るのに人間の専門家は必要ない.汎用型AI(AGI)に全部聞けばよいだけだ.生半可な人間の専門家はむしろ有害だ.
実際,医学とか法学とか体系化が浅い分野は今でもネットでかなりのところまで調べることが出来る.専門家が10年で身に着けることの大半は,自分が今知りたい特定の情報とは無関係だからだ.
それで今現在ある職業のかなりの部分は変わってくるだろう.
職業観というものも変わっていくはずだ.そして教育も変わっていくはずだ.
もう学校で画一的な知識のセットを提供する必要は無いのだ.
さて,それで肉体労働も知識労働も必要なくなっていったとき,その先には何があるだろうか?
それは次回書く.
(過去記事1)