(過去記事1)の続き

 

 普通級か,支援級か,ではなく,積極的不登校,という選択だ.不登校という言葉が不適切ならホームスクーリングというものだ.

 支援級というのは私は教育と言うより実質福祉だと思っている.支援級は特別支援教育の免許もない素人の教員が受け持つ.私は特別支援教育の民間資格をもっているし,いろいろ勉強してきたので,支援級で何をやっているかは分かる.文科省のホームページのpdfだけ見てやっているのだ(過去記事2).たとえば自閉症についての記載はごくわずか.3月下旬に通級・支援級担任を任命されて4月あたまの入学式までにざっとpdfに目を通してすぐに支援級授業スタートだ.新卒一年目で特別支援の免許なく支援級を持たされたりする(過去記事3).

 

 支援級では,そこに何年いたからと言って,中学校では普通級を目指そうとか,普通高校へ進学を目指そうとかいうのは無い.

ほとんどの小学校支援級生徒が当然のごとく,中学校でも支援級,その後は支援学校高等部,そして就職支援を得て,生活保護なり作業所なりで月給12-13万円の仕事をする.

 え?それを目指して6才から小学校支援級で教育しているの?

 教師も本音と建前がある.現場教員は建前で話すしかないのだろう.特別支援学校高等部に入試は無い.能力が高すぎて入れないことはあっても,低すぎて入れないことは無いのだ.

 

 昔は障害児は義務教育が免除されていた.1979年,市民運動の結果,障害者も全員に教育を受けさせる義務が政府にあることを認めさせたのだ(過去記事4).

 これは頑張ってきた全障研のみなさんの努力に敬意を払いたい.

 しかし,国に義務があるのはよいが,それは子自身が望んだ場合であって,国が強制してはならないと思う.

 学校教育にはエビデンスが無いのだ.

 

 そこで,A君,Bさんの事例にもどって考えてみる.

 特にBさんの場合,小1からはホームスクーリングがベストだったのではないだろうか.たしかにBさんの親の負担というものがあるので,一概には言えない.家庭の人的経済的都合もある.

 

 学校がホームスクーリングにしてください,とは建前上言えない.教育義務の放棄になるからだ.

 しかし,ホームスクーリングが一番無難な選択である場合はあると思う.

 

 Bさんは小1-3の間でだいぶ成長した.でもこれは食べて寝て普通に暮らしていれば身体の自然成長の要因であることが大きく,支援級に行ったから成長したというわけではないと思う.

 

 子どもに依るが,ホームスクーリングであれば少なくとも虐めは防げる.

 

 小学校中学年高学年になって,心の成長と学力の成長を観よう.成長カーブは人によって違う.そこから選択肢も増える.

 

 仮に中学校から普通級に行くことになったとしても,支援級出身者という色眼鏡で見られないという事は当事者本人にとってはとても心穏やかなのではないだろうか.

 

 ”親が変な人だったので学校行かせてもらえなかった”

 そう言って親が悪者になればよい.親が最善を尽くしたのに子供がだめだと思われるよりはるかにましだ.

 若い親は子供がどうみられるかより,自分が他の大人からどういう親と思われるか,の方に気が行きがちだが,そんなことは大した話ではない.子供が同世代・教員らにどうみられるか,の方が日常を暮らすうえで大切だ.

 

 場合によっては中学受験して私立中学へ行くという手もある.障害者を揶揄うレベルの親が少ない学校を選ぶというのは重要だ.虐め加害者の家庭はたいていその要素を持っている(過去記事5).

 

 

 6才就学前相談で,就学先を悩む親は多いと思う.(過去記事6)でも書いたが,就学前相談は経験の無いバイトが短期で大量の仕事をこなしている.一年後に相談員探しても退職してる.責任も取らない.

 その選択肢のひとつとしてホームスクーリングを考慮に入れておくというのはありだと思う.もちろん子供がよろこんで行きたがっていたらなかなか難しい.幼稚園に通っていると,同級生やその親から”同じ小学校だね”などと圧がかかる(圧かけてる方はかける意図はなくても).うちの場合は幼稚園入園辞退して正解だと思っている.

 今,どうするか,フリーハンドで選択できる.

 ホームスクーリングにすることで将来の選択をペンディングにすることができる.少なくとも虐めから守ることはできる.

 それで失うものは何か?

 殆ど無いのである.

 友達大好きな共感忖度型は別だろう.

 自閉症児はそもそも友人付き合いが心地良くないし,それは一生続く特性だ.学校生活を送るうえで更に人付き合いへの嫌悪感が増す.セリグマンの犬状態だ(過去記事7).

 

 小学校支援級に行ったところで,小学校卒業式には入学式にいた教員は校長含めて誰もいないし,そのまま作業所送りだ.

 作業所で月12-13万円で仕事するって,12年間教育受けないと出来ないものだろうか?

 むしろ精神疾患のほうが心配であって,能力的なものでいえば,ホームスクーリングで充分ではないだろうか.

 

 エジソンだってホームスクーリングだ.教室に座って次から次へと指示された事項を勉強するというのは,ある種の特性が必要なのだ.自分の興味あることを興味ある時に勉強したほうが深く覚えられるし記憶にも残る.

 何が重要で何が必要かは,学習者個人が決めるべきで,それが自然である.

 学校がコース料理とするならホームスクーリングはアラカルト。修学旅行って集団で行くからバスチャーターしたりして高い。個人で行く何倍もかかる。親子2人で行った方が安いし何回も行ける。好きな場所へ行きたいときに行きたいだけ行ける。

 

 教育ってさ,介護と同じで,ビジネスになってしまっている.彼らを食べさせるために存在している.

 学校が虐め・人権侵害の温床になっていても,行政は責任を取らずに義務教育とし続けている.

 

(過去記事1)

 

 

(過去記事2)

 

 

(過去記事3)

 

(過去記事4)

 

 

(過去記事5)

 

 

(過去記事6)

 

 

(過去記事7)