(過去記事1)で

取り上げた地頭論反論の反論の続き.

 

地頭論反論のときによく言われるのが,

試験で点が取れない人って,基礎が出来ていないのに応用問題に取り組んでしまうから伸びない.

自分が出来ないところの基礎まで立ち戻ってやっていけば「誰でも」勉強はできるようになる.

中学受験問題程度なら特にそうだ.

という話.

 

 私は違うと思う.

 たまにそういった勉強方法でうまくいく人もいるだろうが,そうじゃない人も沢山いる.

 

 ここで例を二つだそう.

 

(1)伝説の予備校数学教師・安田亨氏

安田氏が次の動画(2022/12/4)で自分の考えを昔話とともに話した.

 

「基礎ができていないところに難しいことをやったら砂上の楼閣で潰れてしまう」

こう同級生が忠告をしにきた.

基礎の上に応用を積み重ねるって言ったら僕は一年間遊んでしまっているわけですから

取り返しがつかないと考えた愛知県立高校の安田少年は

「いや,そうじゃない」と考えた.

そして基礎を飛ばしていきなり入試レベルの応用問題に取り組んで勉強した.

すると一か月で一番の成績になった,という話.

 

 そうなんだよね.

 

 百ます計算で筆算を速く正確に解くことが出来れば,中高大どれでも入試ではアドバンテージになるだろう.

しかし二点に注意しなければならない.

・才能・適性が必要であること

・筆算練習をたくさんやれば筆算がうまくなるわけではない事.

 

 まず,筆算にも才能とか適性が必要なんです.

 誰でもできる,と言い切っちゃう人は,かなり狭い人間関係の中だけで生きてきた人.例えばディスクレシア(書字障害)などがある.マスの中に数字を(読める程度の範囲の奇麗さで)はみ出さないように書くことが出来ない.

 例えば封筒の郵便番号の欄にはみ出さずに機械が読み取れるように書けない、または書けるけどものすごく時間がかかるし大変披露する。

 「障害」と名がつくことは,手足が無いのと同じで,基本は回復する確実な方法が無いことを意味する.

 盲目の人だったらマス内に書けなくてもみんな納得すると思う.視力検査では異常がない.一部は通常の視力検査ではなく,動体視力ならぬ脳内視力が出来ないのが原因であることがある.松本康氏は脳内視力の問題で支援級にいたそうである.脳内視力が原因だったと分かったのは高校卒業した後だったらしいが.

 

 

 問題用紙を見て,視線を解答用紙に移すまでの視線移動が困難であることもあるらしい.今回答している問題文の位置と解答欄の位置を正確に視線移動するのに戸惑ったり時間がかかる.そうしている間に短期記憶が持たない場合もある.ワーキングメモリが低いという表現がなされることもある.ADHDで常に気が散って集中力が続かないこともある.

 とにかく原因ははっきりとは分からないが,普通の人が3・4才の時点で普通に出来ることが成人になっても出来ないかまたはできても多大な時間や疲労感が必要な場合があるのだ.そして本人は生まれてからずっとそうなので自分が周囲と違う事にはなかなか気が付かない.単に試験の点数だけをもってして「頭が悪い」という表現で教師も親も本人も片づけてしまうことが多かった.

 

 筆算が苦手,という現象には様々な原因・理由が考えられるのだが,

 高学歴の親・教師に限って,そんなことは何の苦労もせずにできてきたことなので,理解が浅い.

 ただたんに「繰り返し練習しろ」という教育虐待をすることになってしまう.

 たまに繰り返し訓練で筆算が向上することはあるのだ.しかし成功例は少ない.成功したとしても,それは単に時間経過による身体の成長の結果であって訓練の結果では無かったり,本人は多大なる疲労感という犠牲の上で出来ただけのことで,また出来なくなってしまう.

 身長147cm体重45kgの猫ひろしが,身長204cm体重233kgの朝青龍にマラソン24.195kmを走れと言っているようなものである.すごく励まされて根性で一回完走できたとしても,それは一回きりで何回やったところでその体重では猫ひろしと同じスピードと疲労度で完走ることはできないのだ.こんな当たり前のことを知能ゲームでは分からない教員・親が多い.

 

 筆算が苦手な子に筆算を強要することは虐待である.よけいに嫌になる.

 私は筆算も才能だと思う.中学校支援級を見学するとよいが,そこでも2桁かける1桁が出来ない人もいる.日本語の会話は普通にできるのに打.

 

 で,安田氏の話に戻る.

 安田氏は基礎の勉強を辞めて,いきなり応用問題を解く事にした.これは正解だったのだ.

 実際に旧帝レベルの入試に出るのは応用問題だけである.応用問題だけやっていれば基礎事項など繰り返しでてくる.その応用問題を勉強する上で基礎事項をその都度勉強していけばよいのだ.応用問題をやっていて出てこない基礎事項は基礎事項ではない.

 ひとつの応用問題を決められた時間内で解くために当人にとって必要な訓練は,応用問題の勉強の中でだけ培われる.そこでもし筆算スピードが劣るなら,筆算以外の箇所で時間的に挽回できるような工夫があればよい.筆算の正確さに難があるなら,検算を何回かやる時間をとっても,時間的余裕があるように他の箇所で挽回できる訓練をしたらよい.または計算が楽になる計算方法を訓練すればよい.

 つまりは筆算が苦手でも,そこをライバルらと同程度レベルにまで訓練しなくても,苦手は苦手として,他で挽回できるように各人成りの工夫をしていくことが出来るのだ.

 いつまでも筆算練習ばかりやるのが能ではない.

 そもそも学校卒業したら筆算なんて必要ないのだ.今,筆算を必須にしているのは筆算障害者への差別である.
その話は別の機会に書く.
 
上は,基礎は大事とは限らない,という例の一つ目でした.
二つ目は次回書きます.
 
続く.
 

 

 

(過去記事1)