(過去記事1)の続き
女運が悪くて不幸だったオッペンハイマー。
運でななくて彼の中にその要素があったのか。
彼の親の立場だったとして、どうすれば良かったか。
原爆の父オッピーことロバートオッペンハイマー。その父セリグマンオッペンハイマー。
1888年セリグマンは17才でドイツから米国へ金も学歴も英語力も無しに渡り、繊維会社に就職し10年以内に管理職になり、裕福になったそうだ。ピカソやゴッホの絵も所有していたほどだ。
子供は2人いて、共に息子。長男ロバートも次男フランクも米国内の有名大学を出て物理学者になった。ハーバード大とジョンズホプキンス大。
親としてはやるだけのことはやったと自信を持っていたかもしれない。
まあ息子たちは1904,1912年生まれで、まだフロイト心理学が出てきていなかったから、子育てが子供の成人後の人生にまで影響するという思想はなかったろうか。
セリグマンは倫理化運動にも熱心に参加し、信条の前に行動、という信条を持っていたようだ。
まあ、親は息子娘の好みの異性のタイプまでは影響を与えることは出来ないだろうか。
原爆開発は、オッピーことロバートが立案して政府に持ちかけたわけではない。政府がロスアラモス所長としてロバートに白羽の矢を立てたのだ。ロバート以外にも候補は沢山いたはずだ。
所長はロバートでなくフェルミでも他でも、結局は開発に成功していただろう。最初の実験成功時期が1945年7月だったのはずれていたかもしれないが。
ロバートだって、自分でなくてもやれる人が世界中に多くいることを確信していたから、ドイツより早く原爆研究する事を目標にしていたし、ソビエトが水爆開発に成功することも予期している。
ロバートも生涯にわたって金銭的には困ったことはなかったろう。戦時中でさえだ。
人生の幸福はそこではなく、身近な人との間の人間関係か。
ロバートは息子ピーターをエリート校に入れたが、単位取得できず落第し、普通の公立高校へ行かせて、そのあとはフランクのもとにいたりして、ロバート死後二十代でロバートが買った牧場へ行き、大工として暮らした。一男二女を得た。
ピーターは勉強が出来なかっただけでなく不安感が強かったというから、今で言えば発達障害だったのかもしれない。ただエリート校へ入れるくらいだから言葉がはっきり遅れているような中等度以上のものではなく、軽度だったのだろうか。
娘エラは精神的に安定しなかったようだ。映画ではピーターとエラがアル中の母キティからネグレクトを思わせるシーンもある。エラはティーンからタバコと酒をやり、近所ではよく観察されていたようだ。
当時のロスアラモスは原爆開発のためだけに作られた町であり、ロバートはいわば町長みたいな名士だった。噂も広がってはいたようだ。
それこそ、妻キティがしたように、ロバートもその家族から離れ、他の女と子供を沢山作り新しい家庭を待った方が結果的には幸福だったろう。
むしろ倫理化運動に熱心だった父セリグマンの教育がそれを阻害したのか。
娘エラが生まれた時はロバートは既に40代で、体力的にも衰えていたし、仕事も忙しく所長という立場もあって自由も制限されていたし、本来の性格も災いしたのかもしれない。
もっともロバートには結婚後も交際を続けていた恋人ジーンがいた。彼女は子を産む事なく自殺した。ジーンに子供が沢山生まれていたらロバートの人生も大きく変わっていたろう。
私の祖母は三人子供がいながら婚姻中に別の男と恋愛関係になり妊娠した。そして離婚して新しい家族を作った。まえの男は病気がちだったという。新しい男は年下だった。その時祖母は二十代後半。新しい男とも三人子供を作った。
もし祖母がもとの男の元を離れなかったら、今、私も私の子供らもこの世にはいない。私としては祖母に感謝しかない。当時は非難されたろうが。
何が良くて何が悪かったかなんて、全ては相対的であり、後の時代の人々が決めることになる。
原爆の仕事なんてロバートでなくても出来たのだ。代わりは他にもいた。政府に使われただけとも言える。
映画でアインシュタインがロバートにこんな感じのことを言った。賞は与えられる者のためにあるのではなく、与える側のためにある、と。
そう世間は世間の勝手で動く。
(過去記事1)