(過去記事1)の続き

ジェンダー論


上野千鶴子著

家父長制と資本制

を読んでいる。


もう今となっては知られていることばかりで目新しい言説は出てこない。

ところどころ上野氏の偏見が入っていて読みにくい。

上野氏は自分の言説の反論もこまめに引用しているんだけど、それに対して回答してるものとしてないものがあって、これは強力な反論だ、上野氏はどう切り返すか、見ていると、反論に説得力がある時ほど、上野氏は嫌がらせとか強い言葉でなじって具体的な丁寧な回答もなく終わってしまう。



 で、一つだけ私にとって目新しい面白い考えが見つかった。ちょっとこの視点はなかったというものを書こう。

 上野氏は人口の半分の男性を目の敵にして、男性の幸福を全く考えずに女性の利得しか考えてない立場なんだけど、女性vs男性という構図だけでなくて、家父長制というタイトルを採用して

女性と年少者vs 男性と年長者

という構図で対立を煽る。

その文脈で、家事労働の話が出てきた。

賃金が支払われず、愛という名の下に妻が夫に搾取されている

と主張したいようだ。その流れの中で上野氏は口を滑らせたのか、

妻の家事労働だけでなく、

子供の勉強

も不払い労働だと言うのだ。


ほー。その発想はなかった。


妻は家族愛で家事労働を行う

子供は学問愛で勉強に励む


というひとつの理想的な家族の姿を、

家族を持たない上野氏は

愛の名の下に妻は搾取されている

と得く、その流れで、

子供も好奇心とか学問愛の名の下に

勉強という労働をしていて、

これは賃金を支払われるべき

という考えのようだ。


行き過ぎたまずいことを書いたと思ったのが、ちらっと書いてすぐに文章を終えている。


Aは正しい

ということと

Aが正しければBも正しい

という二つの命題は別物だ。


家事労働まで経済システムに入れて賃金の対象にするのが正しいとは思わないが、

もしそれが正当化されるなら、

その仮定の下では、

子供の勉強活動に関しても賃金を支払われるべきだ。


多くの妻は家族愛を持っているという仮定が危ういなら、

多くの子供が勉強愛を持っているという仮定も危うい。


好奇心もない学問に興味のない子供が、父母の将来計画の実現のために良い就職し一家を継続させるという事業の一環として学齢期の勉強があるのであれば、

それは労働と言ってもよい。


朝早くから夕方まで学校へ行き、

そのあと夜まで塾へ行き、

小学生にとって必要な睡眠時間9-12時間を確保できずに

勉強を親から塾から強制され、

受験へと洗脳される。


週40時間労働どころでは無い。


かなりのブラック労働だ。




(過去記事1)