以下のブログ記事にならって

(過去記事1)で宣言したように,私なりの地頭論を書きます.

 

上は私がこのブログで何度も引用しているカーネマンの著書ファスト&スロー

これにならって

ファスト・速い思考モード(システム1)

スロー・遅い思考モード(システム2)

を使って地頭を説明します.

 

ファストモードというのは,本能的な瞬発的な思考というか判断です.思考というより感情や延髄反応に近い.

 危険が襲ってきたから逃げろ,などはじっくり考える余裕はなく,瞬時に行動することが必要.この時はファストモードが働く.

 突然聞こえてきた音の方角を感知して反応するなど.

 

スローモードというのは,論理的な思考です.

 遠い未来を予測して計画し準備するなど.

 時間がかかり効率が悪い.日常の全ての判断をスローモードで行うことは難しい.

 

どうもこの二つのモードは両立しないらしい.

ファストモード優位の人とスローモード優位の人がいる.

ファストモード優位の人は,その場その場で感情とともに瞬時に判断し決定して行動に移す.衝動的判断を優先する.

スローモード優位の人は,とっさの衝動的判断を抑え,冷静な思考をする.

 

ファストモード優位で小学校低学年までは何とかなる.足し算引き算は記憶したことを瞬時に思い出しているだけで論理性は無い.

小4の壁などというが,小学校高学年になるとスローモード優位の人が学習面では有利になる.

解答パターンの暗記だけでは対応できないのだ.

規則性を発見しないで記憶量だけで対応できるような分量ではなくなる.

 

試験特性としての地頭力はふたつある.

(1)ファストモードを抑えスローモードへ切り替える能力

(2)スローモードで鍛えた判断をファストモードに落とし込む能力

 

 ある程度長い文章を読み,内容をよく理解して考え,聞かれたことに回答するためには(1)が必要だ.

 そしてこの(1)が

出来ない人・出来るけど苦痛な人・行うことが快楽な人

と分かれてくる.

 (1)を行うことが快楽な人は,受験勉強ではかなりのところまで行くと思う.学校の教科書は全部理解できるし,いわゆる一流大学(旧帝国大学・早慶上智・医学部)を目指して入れないということは無いだろう.

 

 しかし,それ以上さらに高得点を目指すのなら(1)だけでは駄目だ.(2)がどれくらいできるかが勝負になる.

スローモードは時間がかかる.試験には制限時間があるのだ.課題提出が数日後などであれば(2)はあまり要らない.

試験時間内ですべての問題をスローモードで流暢に考えていたら時間が足りないような,そういう分量をわざと出題してくる.

なぜならそのレベルの受験生はだいたい(1)をクリアしているからだ.

 全く勉強していなくて全ての問題が初見でスローモードで対処するならかなり時間がかかって当たり前だ.

 受験生は多くの問題にとりくみスローモードで理解したものをファストモードで呼び出せるように訓練する.

その手の問題を解く解法が複数あってもどれが一番最短距離か,経験と勘から最善手を選ぶ.2つの道のどちらを歩むか思いついたほうを先に選ぶとか,確率的な要素を省くわけだ.

 

 ある意味(1)はあまり訓練しても見につかない.(1)が無い人が(1)を身に着けたとすれば,それは睡眠と栄養と時間の作用によるもので,意図的な訓練によるものではない.(2)の特性も持ち合わせている人が訓練してスピードが速くなると更に高得点がとれるようになる.

 

 上は主に数学・理科を想定している.英語は基本ファストモードだけでやっていくのが原則だ.英語圏の人の大半はファストモードで英語を話している.”Hello, how are you?"と聞かれて1分待ってから"I'm fine, thankyou. And you?"と返していては会話にならない.言語はスポーツとおなじくスピードが本質なのだ.

 

 うえでは二つだけをあげたが,実はもうひとつファクターがある.

 

(2)の訓練(受験勉強)をする上で,それがどれだけ続くかは,

 

((2)の特性)*(興味+動機)

である.

 全ての分野に興味があるわけではないが,立身出世のための手段という動機で勉強する人は,全ての分野をまんべんなくやるので優秀な成績を収めやすい.ただこういう人はもともと学問に興味があるわけではないので,大学入学後は勉強に熱はあげず,学部卒業単位だけとって学問とは別の世界へ行く人が多いと思う.

 特定の学問分野に興味があってやる人は,別の学問分野には興味が全くないことが多々ある.こういう意味でアルバート・アインシュタインは学校秀才ではなかった.物理学にしか興味がなかったし,(アインシュタインと後の彼の妻になる女性以外)同級生全員が学者として就職する中,ひとり特許局へ勤めることになった.

 

 世の中には学校歴は大したこと無くても知的な世界で充分活躍できる人はいる.彼らのほとんどは(1)はクリアしているが,興味が偏っているので(2)が全ての分野でバランスよくできていないのだと思う.だが,逆にそれが強みとなって,世間が重要とか有望と認めていない分野に偏見無く集中できるので,ブレイクスルーが起こせやすい.

 秀才は単位時間当たり沢山の量の仕事を効率的にこなすという意味においてかなり合理的な行動ができる.ただその時代の常識からは抜け出せない.

 医師は沢山の患者の診療を短時間で正確に行う必要があるので,医師の特性は受験勉強の特性と一致していると思う.

 

 試験特性と能力の間の関係として思い出すのは以下の高橋洋一チャンネルの動画.

 

 上の動画にあるけど高橋洋一郎(1955-)がYouTubeで(森友学園問題で失脚した)財務省理財局長・佐川亘寿(1957.11.6-)のことをこう批判していた.森友学園問題は本来ちゃんと対応していれば簡単に解決できる話だった.佐川がちゃんと事前準備をしなかったために出まかせを言い,それを取り繕うために部下に文書偽造させた.

 本来なら,2017年2月9日に森友問題で朝日新聞のスクープが出た以上,2月中旬の予算委員会答弁で聞かれることは分かっているのだから,最優先事項として事前に(近畿財務局から)決裁文書を取り寄せればたかが百ページ程度なのでちゃんと読めば経緯が分かっていた.朝日新聞のスクープで言われたような疑いはなかったことを示せてた.ところが佐川氏は決裁文書を読まずに不勉強から間違った答弁を行い,その間違えた答弁に合わせるよう決裁文書改ざんを近畿財務局(赤木氏)に指示した(赤木氏はうつ病の末自殺した).

 

 東大現役合格の法学部卒の官僚なら,スクープが出てから答弁までに経緯を調べるなんてことは当然やっていたはずだ.

東大卒とは言えど,2浪して経済学部卒の彼にはそれができなかったのだ,と批判していた.

 

 

 この,

事前に何が起こるかを察知して,そのための準備をしておく,という能力がある人

と,

なんの準備もせずに出まかせを言って後で犯罪をしてまで取り繕う

ような人を

分けるのが受験システム

なのかもね.

 

 うーん.手厳しいね.この両者は試験では分けられないと思うが,かといってでは,別のどんな方法で分けるのかというと,代案は難しい.

 

 まあこれは地頭力というよりは,もっとモラルとか人格に関係するものだとは思う.

 

 

 

 

上の記事読む限り,葬儀に来た財務局の役人は誰もあいさつなく記帳しなかったし名刺もおいていかず,マスコミへの口封じのために来たようだ.

 つらいね.

 

 私が赤木さんの立場だったら断って出世を棒に振っていたか,あるいはやったとしても全部マスコミかブログにぶちまけてたろうか.

 

 最後は地頭論というより,試験特性と人間としての特性の関連になりました.

 

(過去記事1)