上の記事(上の二つは同じ記事)を読んだ。
日本の教育を縛る「金八先生・泣き虫先生」モデル ーー教師のブラック環境が消えない「意外な難点」
(疑問に思った点)
教師たちが学習科学・人文科学に精通する必要があり、大学院教育が必須になる。現在、修士号なしに教師になることのできる先進国は日本以外存在しない。
アメリカでは州によると思うが基本は学部卒で教員になれる.イギリスは学部は3年制だし,イギリス含め欧米でいう修士とは1年制の軽いものだ.日本の2年制修士よりも簡単にとれる.修士号論文なども無いことが多い.(アメリカのMBAなどは2年制が多い)
国際的に、教師という職(保育士を含む)は、弁護士・医師につぐ第三の専門職とされ、高い倍率を誇る人気の職種である。日本の教員の志願者数はここ10年減少し続け、特に2023年度は欠員(法律で定める教師の配置定数を満たせない)の学校が激増している。海外との違いは、何から生まれているのだろうか。
いや,フランスなどでも教員不足が深刻だ.日本だけ特別なわけではない.
”日本のXXをYYへ直せ,という主張をする際に,ことさら,XXの問題を抱えているのは日本だけだ.外国はみなYYだ.”
という形の主張をする人がとても多いが,よく調べると外国でもXXだったりする.自己の主張をするために外国観をゆがめてもちいるのは良くないと思う.
それと,気になる点は,教師は専門職という点だ.
歴史的に見れば,教師は国際的に薄給だ.デモも起きてるし,人材不足だ(時代による).日本の今だけ特別なわけではない.日本でも1990年代は教員採用率が非常に高く激戦だった(私の記憶では都立高校国語教師採用数が数名とか。安住 紳一郎氏(1973.8.3-)は中高教員免許を取得したものの激戦の都立国語教員を悲観的に目指しながら記念受験のアナウンサーに受かったので、同世代の都立教員をリスペクトしている。).
この著者は,教育業界にいるので,教育業界で働く人々の地位を上げることが主目的であるので,こういう姿勢になるのであろう.まあそれはよい.しかし,教育業界の外から見ると,話は違う.私は学校ビジネスは縮小すべきだと考えている.
教師は専門職か?
この文春記事でいう専門職は,私が今までブログで書いてきた”専門職”ではない.
私が言う所の”良い意味での”専門家・職は,経済学者カーネマンが採用する次の定義だ.
・規則性のある分野において,その規則性を抽出できた者.
しかし,この文春オンラインでいうところの”悪い意味での”専門職とは,
・新規参入障壁の高い職
という意味である.
すでに教育ビジネスで働いている労働者の立場からしてみたら,自分の職業は新規参入障壁を高くしたい.
ウェートレスやコンビニレジ係のように,すぐに新人に薄給で取って代われれる職よりも,
卒業した学校や取得した資格で,ライバルを少なくし,勤務年数が高まるごとに,給与も上がり,
あらたに入ってきた薄給の若い新人に仕事を奪われて首になるリスクが少ない
ということが,重要だろう.
そういう職業に人は集まるわけだ.
つまりは,
(A)その職でパフォーマンスをあげるためには,”規則性”を抽出していなければならない.そしてその規則性抽出のためには学校だけでなく,勤務年数が必要になる
という話と,
(B)その職種は,新規参入障壁が高く,素人や勤務年数が浅い新人に,職を奪われにくい
という話は,全くの別の話だという事だ.
(A)であれば(B)は必然的についてくる.
しかし,(B)が目的であるために,(A)をでっちあげているようにしか見えない.
教育の世界では(A)であるためのエビデンスベーストな根拠が無いのだ.
中室牧子著「学力」の経済学(2015.6)
という本の最後の方でも書かれているが,
アメリカで
正規教員免許をもった教員と
一流大学の無免許ボランティア教員とで
授業を比べた結果,後者の方が成績が伸びたという研究結果がある.
教員養成系の大学教育や資格は役に立っていないということである.
(教育原理の陳腐さについては(過去記事1)で書いた.)
資格試験の内容を見ればわかる.たいした試験ではない.
資格試験は新規参入障壁を高めることにしかなっていない.
”学力の経済学”でも書かれているが,アメリカの行政文書では,教育行政で,”エビデンスベースト”という単語が満載である.どこにどれだけ予算をつぎ込むかという決断の際に,その教育効果にエビデンスがあるかどうかが問われる.
上の文春の記事では,弁護士・医師についで教員が専門職と書いてあるが,
弁護士・医師は専門職であろうが,生成系AIの登場によって専門性は低くなったと言ってよい.特に内科医の専門性は低くなっている.
面白い余談としては,科学研究者は普通,専門職の範疇に入ると思われていると思うが,狭い研究領域の既存の知識については深く知っているという意味で”良い意味の専門家”であると言えるが,”新しい知識を生み出す”専門家ではない.
”新しい知識を生み出す”ために古い知識はある程度は必要であるが,その古い知識の深さは必要でも充分でもない.
新しい知識を生み出すのは,アートであり運である.
2022年イグノーベル賞受賞の論文でもあったが,”物理学者が生涯いつの時点で人生最良の論文を書くか”という調査を行った.研究キャリアの長さと最良論文を書く確率は,相関関係が無かった.普通に考えれば,駆け出し新人時代は研究の仕方も分からずキャリアが長くなるにつれて良い論文を書けるようになるだろうと考えるが,実際には違う.運なのだ.
専門性の高いものほど,AIによって機械化できるはずなのだ.
規則性は人から機械へ伝えることが出来るものであるからだ.
伝えられないのであれば,それは規則性ではない.エビデンスベーストでもない.
上では,(疑問に思った点)を書いた.
もし著者がこれを読んでいて,気分を害されたらごめんなさい.
上の文春の記事では,良いことも書かれている.それを次回書く.
次回はこれ
(過去記事1)
(過去記事2)