(過去記事1)の続き

18世紀末フランス革命の前は、ヨーロッパは封建制の時代であった。領主の下で身分制があり、それぞれの階層内で結婚が行われた。

結婚は各個人が自由に選ぶものではなく、親どうしが世間的に相応な範囲内で選び、契約するものである。

 それによって同業者間で強いギルドを形成することができ、娘が子供を産んだ後も男に逃げられない保証を男の実家にもたせる機能があった。


 19世紀になり、封建制は崩れ、個人主義が台頭し、身分関係なく親でなく当人個人が結婚相手を見つけるようになっていった。


 それまで愛とは、人と神の間で交わすものであった。それが男女間で交わすものに変質していった。

 そして愛は恋愛となり、宗教となった。


 子をもつための手段としての結婚、恋愛が、いつのまにか、恋愛自体が崇高な目的となり、幼少時代から植え付けられる宗教となった。


 女はいかに自分を真剣に愛する男を獲得したかを比べ合う。花嫁修業をして努力した末に獲得した男より、何もせず、素の自分、自分の駄目な部分もさらけ出した上で、それでもいかなる困難をも乗り越えて愛する男を求めるようになる。そしてその男は、シンデレラを愛した王子のように、その美貌で一目で恋に落ちなければならない。女にとって男を魅了するのに必要なのは若さと美貌だけなのだ。それ以外の二人の間の困難を努力して解決するのは男の使命であり、それこそが男が女を愛している証なのだ。


 これが、19世紀から今日まで二百年くらい、日本の庶民の間で言えば、もっと短い期間であるが、流行してきた恋愛教の原型と言える。


 もちろん、歴史的地域的にみれば、この思想は中世ヨーロッパを起源とするもので、特殊な思想ではある。


 日本の古代中世でも、男女は恋文を交わした。これは和歌を交換することで互いの知性を誇示しあっている。このような風習は現代のアフリカなどでもみられる。手紙でなく楽器を演奏することもある。


 西暦900年近辺に成立した伊勢物語は、主人公在原業平の恋愛物語だが、その最初のエピソードは、同居する姉妹に恋文を出す話だ。姉と妹の二人同時に一通の恋文なのだ。片方ではない。そしてそれを特別視した書き方になってないところを見ると、それが普通だったのだろう。確かに姉妹からしてみれば、通い婚などの形態ならば、それが合理的だったのかもしれない。

 

 孔雀はオスが綺麗な羽根を雌に誇示する。孔雀をはじめ鳥の97%にはペニスが無いのだ。ペニスがなく穴なのでレイプできず、メスの気を引く必要があるわけだ。


 ある種の昆虫は雌がペニスをもつ。


 普通はメスの方が妊娠出産にコストを払うが、この昆虫の場合は、オスは精子以外に栄養カプセルを渡すため、メスの方がコストが低く交尾回数がオスより多くできるらしい。


 少子化の原因は、中世封建社会の結婚制度と個人主義的恋愛教のミスマッチが起こしているのかもしれない。

 本来は子を産むための社会保障としての結婚、その手段としての恋愛だったはずが、恋愛自体が目的化し、結婚は愛していることの証明となる。一夫一婦制で妻は子を産まなくとも夫は恋愛教から抜けられない。恋愛は宗教であるから。さらに結婚という法的束縛から、その夫を愛する権利を他の女から奪うことになる。その帰結は時間差一夫多妻か、少子夫婦と未婚者の増加となる。


(過去記事1)