以下は不登校の歴史.

 

長欠児から登校拒否へ,そして不登校へ

 

 

上の本の最後の章を参考にして,不登校の歴史を書きます.

 

●第一期(戦後ー1984年)

戦前までは義務教育は6年だった。

中学校は一年ずつ義務化して3年間で完成.

1950年頃9年間の義務教育整う.

戦災孤児もいて,農作業や育児にかりだされ,弁当も持って行けず,長期欠席者長欠児と呼ばれた)は多かった.長欠児が多かった1950年頃,貧困でも病気でもない長欠児は問題視されてなかった.

1960年代・70年代から,不登校は治療の対象となる.

その後,貧困でも病気でもない長欠児を66年から学校ぎらいとして実態調査開始.

60年頃からの高度経済成長が受験戦争・管理教育をうみ,学校はストレス空間となった.

70年代は校内暴力と虐めの拡大.

1950年度に42.5%だった高校進学率は,

1965年度に70%,

1974年度に90%を超えた.

登校拒否は75年から増加.

戸塚ヨットスクール事件(1979-82年)

 

●第2期(1985-99年)

不登校激増

1987年不動塾事件(埼玉県秩父郡)・仏祥院事件(静岡県)

1988年稲村博の高校拒否症病気説

稲村博は以前記事に書いた.

 

1991年風の子学園事件(広島県・小佐木島)

1992年文部省見解・登校拒否は誰にでも起こりうる

1994年日本が子どもの権利条約批准

1998年 文部省が学校嫌いから不登校へ呼称変更

 

●第3期(2000-13年)

不登校小中学生12万人で横ばい.少子化のため割合は上昇.

 

●第4期(2014-)

2014年8月文科省フリースクール担当プロジェクトチーム

2016年9月文科省通知・不登校は問題行動ではない

2016年教育機会確保法

 

2023年文科省COCOLOプラン

 

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なるほどね.戦後,貧困による理由での長欠児が多かった頃,貧困でも病気でも無い長欠児はそれほど問題視されてなかったというところが印象に残った.