上の記事で、こう書いた。
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19世紀と20世紀初頭には,精神病として
・同性愛
・ドラペトマニア(逃亡奴隷精神病)(奴隷が所有者から逃亡したくなる精神の病)
・ニンフォマニア(女子色情症)
があった.もちろん,これらは現在のDSMにもICDにも無い.
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もうちょっと新しく、でも今では精神病ではないとされるものがある。
それは
学校恐怖症
だ。
1941年 学校恐怖症についての初めての論文が米国医師からでた。
日本では
1960年に初めて学校恐怖症の研究
の論文が出た。この論文で初めて
登校拒否
という語が発明された。不登校に変わる前の言葉。
そして1960年代、精神医学として研究されるが、問題は本人や家族にあるとされていた。
そして悪名高い稲村博(1935.9-96.5)ら医師が登場だ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/稲村博
1935年東大医学部卒。同大学院修了。1973年「犯罪性精神障害者の精神医学的研究」で医学博士。
筑波大学で教鞭をとり、1982年文部省発行の生徒指導資料 【生徒の健全育成をめぐる諸問題 登校拒否問題を中心に】の協力者に名を連ねる専門家中の専門家であり、権威であった。
彼は登校拒否を病気と捉え、1985年にマスコミに糾弾されるまで、浦和神経サナトリウムに児童らを強制入院させ、ベッドに拘束した。その劣悪な環境に耐えかねず学校へ行き出した児童を、治療成功例とした。学生時代それに加担させられた山登敬之(1957-))は稲村を恨んでいた。
このように不登校児を強制入院させ薬漬けにさせていたのは稲村医師だけではなかった。
そして、この登校拒否は病気だとする説に反対運動を起こした中心は、親の会ネットワークであった。
マスコミと文部省がそれに耳を傾けて
1992年文部省が、登校拒否はどの生徒にも起こりうる
と発行物で見解を示した。これで登校拒否イコール病気説は終焉を迎えた。
1980年代にマスコミを賑わせた戸塚ヨットスクールの思想基盤は稲村医師の思想とされる。
参考文献
https://botalabo.jp/system/index.php/item/1939/
東大医学部出て、児童精神医学界で重鎮とされる人物が、現在から見て、法的にもこんなめちゃくちゃなことをやっていて、親の会やマスコミが暴いても、1996年に亡くなるまで、なんの処罰もされず、死んだ時も一橋大学教授で保健センター所長を勤めていたことだ。学会追放されたし病棟閉鎖したけど、医師活動は継続。
もっとも東大医学部というと偏差値的には最高位と素人は思うが、精神医学史的には、ドイツの精神医学直輸入の元祖だから、これは東大医学部出なのに、ではなく、東大医学部出だから、こんな事件を起こしたと見ることもできる。7万人の障害者殺害のT4作戦(1939-41)したのはドイツ精神医学会。
これは昔話ではないと思う。現在の医学界、教育界でも、未来から見れば、かなり馬鹿げたことをやってると思う。
それが35人集団授業の義務教育。勉強のためには非効率でいじめの温床。
もう学校は行きたい人だけがいけば良いとなるんじゃないかな。江戸時代みたいに。
あと社交不安障害ね。不安を抱く対象の量と質に個体差があるのは静物の多様性から当たり前。学校に不安感じなくて通学して嫌な目あってる人よりは、最初から行かない子の方が賢いでしょ。