上の記事で,幸せという概念は比較的新しいものであり,幸福は手段であって目的ではないと述べた.
これにまつわる話で私の気に入った話がある.
幸福・不幸をつかさどる快楽神経は進化の過程で動物が勝ち取ったものだが,味覚という器官もある.
味覚は何のためにあるのか?美味しい味を楽しむためにあるのか?
もちろん,そんなわけはない.
味蕾の数は,動物の種によって異なる.
・なまず 20万
・牛25000
・豚・やぎ 15000
・人(乳児)10000
・人(大人)6000
・犬 2000
・猫 500-1000
・にわとり 20-30
・へび 0
なまずは断トツだ.体中,全身で味覚を感じることが出来る.
一方で,へびに味蕾は無い.すべて丸のみしてしまう.口に入れる前に選別する手段を用いていない.
人の味覚は5種類あって,それぞれの受容体は
甘味 1種
うま味 1種
酸味 1種
塩味 1種
苦味 約20-30種
ちなみに辛味は温度であって味蕾で感じるものではない。
うえの5味のうち,美味は甘味とうま味の2種類だけだ.ほか3種は不味い味.
とくに苦味の受容体だけたくさんある.
そうなのだ.味覚の主な役目は,毒見なのだ.有害物質を除去するため.
なまずや牛はグルメなのだ.あと乳児は大人よりもグルメ.消化器官にとって有害なものをなるべく取り入れないために味覚がある.幼児は大人より消化器官が未発達だからね。
そして,人にとって貴重な栄養素は,美味しいと反応するように味覚が進化した.
糖分や油分など,めったにとれないから,とれたときには有難く食べておけ.
というわけだ.
しかし,この”貴重”かどうかは,肉体のDNAに刻まれた基準だ.1万年前,狩猟採集時代と遺伝子はたいしてかわっていない.植民地でサイトウキビ栽培して精製して大型船で運んでこれ,安く大量に手に入るようになってからの歴史は浅すぎて,我々の身体にまだ刻み込まれていない.(火の発明にはすでに対応している)
だから,たくさん食べすぎて糖尿病にかかったりする.一万年前はこれでよかった.だってたくさん摂取できるなんて事態は想定しなくてよかったから.
砂糖と違って塩は一万年以上前でも沢山取れすぎる環境がありえた.だから塩は食べ過ぎないように歯止めをかけるストッパーが身体にある.
人は必要な栄養素を必要なだけ摂取するのが目的で食事をしている.味を楽しむためではない.味覚は,有害物を除去し,貴重な栄養素を積極的にとりいれるための手段に過ぎない.
幸・不幸も美味・不味い味との対比で考えると面白い.
おそらく,人の幸福の大部分は,身の危険,飢餓,暑さ寒さ,自分の遺伝子の絶滅など不幸を避けることで成り立っている.
他人に美人・イケメンと言われて嬉しいのは,自分が健康な赤ちゃんをもてるという可能性の高さを感じ取れるからだろう(無意識下かもしれないが).
美人・イケメンであることと,感染症に抵抗力があることは正の関係性があるらしい.二百年くらい前までは感染症が人間の死亡率ナンバーワンだったらしい。乳幼児は特に。
短期的な幸福ばかり追うのは,旨いものばかりを食べるのと同じだ.ジャンクフードも砂糖菓子もうまい.
一万年以上前は,うまいものを追って,短期的な幸福を追って,生きていけば,それで良かった.そのような環境であった.大昔には大量に砂糖菓子なんて無かったし,マスコミの洗脳もなかったし,競争を煽られたり,文化の急激な変化もなかった.学校で集団行動を強いられることも無かった.学校なんて一万年前どころか1世紀半前には無かったし。
結婚・就職の競争ルールも技術や社会の変化とともに急激に変わる.
で,さっきの話.味蕾の数でわかるけど,美味しいものを見つけるよりも,不味いものを避けることの方が,味覚としては重要な機能.
不幸を避ける方が,幸福を見つけるよりも重要.
だから,楽しかった思い出と嫌だった思い出が同じくらいだったら,嫌だった思い出の方がより強烈に記憶に残る.感覚過敏・感覚鈍麻.人によって特性が異なる.
学校行って良い思い出と悪い思い出が同数くらいだったら,最初から行かないで良い思い出も悪い思い出もどちらも無いほうが良いのかもしれない.特に幼少期のつらい体験は長期的悪影響を及ぼすらしいし.
味蕾は大人より乳幼児の方が多いのと同じく、感受性も子供の方が敏感。味覚過敏な人がいるのと同じで感受性過敏な人がいて当然。
子供の時に沢山有毒物質食っとけ、大人になったら慣れるから、なんて言う大人はいないしね。
若い時の苦労は買ってでもやれと言うが,それはある程度の貧乏とか空腹とか不便さなどは当てはまるかもしれないが,人間関係でのつらさは若いときは経験しないほうが良いのかもしれない.
例えば,積極的不登校というのもありなのかもね.