精神疾患は体験と文化に依存する

の記事の続き。

 

人は動物であり,生物である.

その目的は子孫繁栄にある.身体の各器官は子孫繁栄のために進化・退化してきた.

幸福は目的ではなく,手段である

子孫繁栄させる手段として快楽神経ができ,幸福と苦悩で個体を操縦することで子孫繁栄と言う目的を果たす.

 

実は,しあわせと言う概念は比較的新しい.幸せは,仕合わせるが語源で,めぐりあわせが良い,ということ,つまり偶然のラッキーという意味である.幸せになりたいとは、良い偶然を願うのとは違う.(実は英語のHappyも同様に偶然という意味から変化した.happeningハプニングと同じ語源)幸せは運任せでなく努力でつかみ取るというのが現代の価値観だ.現代の意味での幸せは江戸時代以降であって,それ以前は現代の意味での幸せという概念は無い.
 幸福追求という概念は新しいものである。アマゾンのピダハン語では幸福にあたる語は無かったと思う(手元に本がないので調べられないが、心配するとか自殺という言葉や概念も無かったのは覚えている)。
 

よって,基本的には,子供もいず,今後も子供・孫が期待できず,社会貢献などで自分に近い種の子孫繁栄にも貢献していないような状態で,幸福感を永続的に実現することは不可能である.それは幸福の目的外使用だからだ.ヒトの身体は進化の発展途上にあるので幾らかのバグは存在し,短期的には快楽神経をだますことで,幸福感を実現することは可能だろう.もっとも,子孫繁栄せずに幸福な人,子孫繁栄に成功している不幸な人も中に入るだろう.100万人に一人は先天性無痛症の例もある.(殴られても骨折しても痛みを感じない.)

 ただ,大半の人のたいていの持続的苦悩・精神疾患は,もとをたどれば,直接的・間接的に,この子孫繁栄の問題にたどりつく.

 

 そして,この子孫繁栄競争は生物として宿命ではあるが,人の場合,その所属する社会・時代の文化に強く依存する.

 

 端的に言えば,結婚と就職で成功するためのルールが時代とともに変化する.

 

結婚におけるお見合い率は

1930年代:70%

1960年代:50%

1980年:25%

2010年: 5.5%


 

と,劇的に変化し,現代では恋愛結婚がほとんどとなる.

 

また,職業で言えば,

就業者に占める被雇用者の割合は

1953年42.4%

1959年51.9%

1993年80.7%

2005年84.8%

2017年 87%

 

と推移する.

つまり,現代ではサラリーマンが主流となる.サラリーマンとして良い安定した会社に就職するための方便として,学歴競争があり,浪人文化があった.

 

昔は,そこそこの生活をしていれば若いうちに,親や周囲がお見合いを設定してくれて,結婚できた.ところが今や,結婚の前に何年もの交際期間が必須となり,コミュニケーション能力が同性間の競争を勝ち抜くカギになってきた.

 

就職競争のためには学校歴競争があり,学力試験競争を勝ち抜く必要がある.

 

昔なら,軽い知的障害ありの自閉症者でも,周囲にはそれと気づかれずに,それなりの職はありつけたり,それなりの結婚相手もみつけてもらうことができた.

 

しかし,今や,恋愛ができるコミュニケーション能力と学力の両方が無ければ,就職・結婚への道が閉ざされてしまう.

 

経済と言う用語は,福沢諭吉がつくったものであり,経済と言う概念自体が比較的新しいものである.
 

経済や金銭という概念が社会を支配し、競争が煽られると、精神疾患は多くなる。

先のピダハン族には、精神疾患はない。過去と未来の概念もない。これはピダハンに限った話では無く、森の中で暮らす民族は一日中暗く、空間的見通しもなく、季節感が無いので、時間という概念もほとんどない。せいぜい一日単位。

 

 精神疾患は、結婚と就職が経済社会上の競争的文化に乗せられたために起こることである。