江戸周辺散歩 東海道川崎宿を歩く① 雑色から六郷橋へ =六郷神社・止め天神= | jinjinのブログ

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江戸周辺散歩 東海道川崎宿を歩く⓵ =東海道・雑色から六郷橋へ= 

◉六郷神社と北野天神(止め天神)を参拝し、六郷橋を渡ります。

 

 

 

◉江戸時代、東海道川崎宿の入り口は「六郷の渡」。

ここで多摩川を舟で渡り相模の国へと入りました。

 

◈六郷とは:現東京都大田区ですが、「新編武蔵風土記」によると、「多摩川の岸沿いの、八幡塚、高畑、古川、町屋、道塚、雑色の6村が、昔六郷村という一つの村であった」とのことです。

 

「六郷村」というのは明治以降(明治22年)の地名で、現在も「東六郷」「西六郷」「仲六郷」「南六郷」などの町名があります。 「雑色」は町名としてはなくなっていますが、駅名として残っています。

雑色駅のすぐ東側を国道15号線・・・即ち旧東海道が通っています。

 

<京浜急行 雑色駅>

 

◉東海道川崎宿を歩く…スタートはここ、京浜急行雑色駅。

 

雑色商店街(冒頭の写真)・・・ちょっとローカルな話ですが、「東京都大田区内では規模・エリアともに最大級の商店街を形成している。中規模のスーパーマーケットのオーケーストア以外には大きなスーパーはなく、雑色駅からはアーケードの商店街が続くが、そこを抜けると、縦横の通りに昔ながらの小さな商店がぎっしりと軒を並べている」・・・そうです。(PORTAL TOKYO) なかなか人気の商店街なのです。

 

 

国道15号線左側を六郷橋方向にむかって歩いて行くと、石の標柱と鳥居が見えてきます。

その奥に長い参道があります。 六郷神社です。

 

 

 

 

■六郷神社 =国道15号線(東海道筋)に鎮座=

 

由緒ある古い神社で、その起源は天喜5年(1057)。 源頼義、義家の父子がこの地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられています。

 

文治5年(1189)源頼朝も奥州征定の時、白旗を立て、戦いでの勝利を祈願し、梶原景時に命じて社殿を造営しました。 神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれています。

 

神門は国道側(西側)ではなく、回り込んだ南側にあります。

切妻造の神門は、六郷の総鎮守らしい風格を漂わせている・・・とのことですが、その前に「神橋があります。 梶原景時が寄進したものといわれています。

 

<六郷神社 鳥居と神門>

 

<新門前の神橋>

 

◉社殿:拝殿、幣殿、本殿と続いています

 

 

 

慶長5年(1600)、徳川家康が六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にみえるそうです。 その所以で、当社は神紋として八幡宮の巴紋と三つ葉葵紋を用いているとのことです。

 

神社で「三つ葉葵紋」を用いているのは、東照宮以外はあまり知らないのですが、行ったことはないのですが、會津の「土津神社」はHPで見たことがありましたが・・・土津神社は「保科正之」を祀っています。

 

三つ葉葵紋を探したのですが・・・・・「おぉ、あったあった」

 

 

六郷神社は、江戸時代には「六郷八幡宮」と称していましたが、明治5年(1872)東京府郷社に列格し、明治9年より「六郷神社」と称して今日に至っています。

 

◉ご祭神:現在は、応神天皇(誉陀和気命-ほんだわけのみこと)だけを祀っています。

 

境内の、困った顔の狛犬さん:こんなお顔をしたワンちゃんていますよね。

貞享2年(1685)に六郷中町の有志が奉納したもので、大田区内最古の狛犬だそうです。

 

 

 

 

<境内社:稲荷神社氷川神社天祖神社三柱神社>

 

<旧六郷橋(1913年にかけられた木橋)の親柱>

 

 

国道15号線です。 多摩川方面に「六郷橋」。 国道を右側に渡って少し行くと「とめ天神」と言われる「北野天神」があります。 その辺りが東京(江戸)側の「六郷の渡し」があったところです。

 

 

 

■北野天神(落馬とめ天神)

 

                                               

                                         (北野天神ホームページより借用しました)

 

(北野天神ホームページ: https://www.rokugo.or.jp/tome/index.htm

 

社伝によれば、8代将軍吉宗の乗っていた馬が暴れ、危うく落馬しそうになったのをとめたとして伝わる神社で、東海道を往来する武士から「落馬止め天神」と崇敬されるに至り、この加護にあやかり将軍指南役の柳生家留守居役が近くに屋敷を構えたとか。 

 

農民や町民は「止め天神」とのみ呼んだという。一切の災いや痛みを止め、「落ちない」ことを祈願する人々から崇敬されてきたといいます。

 

 

天神さまは昭和20年の九州で焼失、地域の人々により昭和58年に再興されました。 その際木馬が置かれたといいます。 

縁日にはこの木馬にまたがるのだそうですが、江戸時代から続く神事だといいます。

縁日は毎月25日で、この日はだれでも木馬にまたがることができるそうです。

 

 

<止め天神の碑>とめ塚というのが横にたっていて、絵馬がかけてありました

 

<止め天神の力石>・・・千年石(鶴さん)と万年石(亀さん)と呼ばれます

江戸時代、氏子が力持ちを自慢するため、抱えたり持ち上げたりした石だそうです。 

触ると力を貰えそう!

 

 

◉神社の入り口に六郷の渡しの説明板があります、

 

 

この看板の目と鼻の先が六郷橋、階段の上に船のモニュメントが見えます。

 

 

 

 

■六郷橋下宮本台緑地公園

北野天神のすぐわきに宮本台緑地と言う小さな公園があります。

小さな公園ですが、ここに大正14年(1925)に作られた旧六郷橋の親柱が置かれています。

 

 

六郷橋

 

六郷橋を渡ります。 現在の橋の長さは440m。

 

流されない「六郷橋」がかったのは大正12年、長さ446mの大きな橋でした、現在の橋が架かったのは昭和59年(1984)のことです。 

 

◉橋の上からの眺め、以前と光景がかわっていました。 昔はこのあたり、雑多に木がたくさん生えていて、小さなテントのような家が一杯あったのです。 すっかり綺麗に整理されていました。

 

 

<羽田空港方向を望む>

 

◉六郷橋を渡り終わると、「明治天皇六郷渡御碑」と「川崎大師厄除け」があります。

 

<明治天皇六郷渡御碑>

 

<川崎大師厄除け>

 

このあたりに六郷の渡しがあった・・・という説明板です。

 

 

 

◉六郷橋の歴史

 

江戸時代に架けられた橋は貞享5年(1688)に流され、以降江戸時代にはかけられていません。次にかけられたのは明治7年、鈴木左内という人によってかけられました。「左内橋」と呼ばれます。この橋も流され、その後は明治16年(1883)、明治43年(1910)と建造されましたが、これらの橋も流され、1913年仮橋が再建されました。 現在六郷神社に残されている親柱は1913年にかけられた橋のものとのことです。

 

<明治中頃の六郷の渡し> 

 

 

<左内橋>

 

 

<旧・新地図比較>

   

 

 川崎側へと渡って、東海道川崎宿へ入ると入り口に「六郷の渡しと川崎宿」という説明板があり、江戸名所図会の万年屋の挿絵が描かれています。

 

 

 

ここが旧東海道川崎宿の入り口です。

 

 

ここから先は次回に

 

 

 

いつもありがとうでござる