2024年6月25日玉城デニー知事は県庁で記者団の取材に答え、3月27日付けで那覇地検が起訴していた米兵による不同意性交事件に関し、県には6月25日に同事件に関する地元メデイアの報道があるまで、政府からの連絡はなかったとして、「信頼関係において著しく不信を招くものでしかない」と述べた。翌26日地元紙は、政府が「県と情報共有せず」と報じるとともに、これまでの経緯について触れ、外務省は3圧27日には把握し米側に抗議したが、「プライバシー保護の観点から、自治体や関係機関に伝えなかった」旨を報じた。

 

その後幾つかの類似事案についての未通報問題が報じられ、結果7月5日定例記者会見において林芳正内閣官房長官は、「在日米軍による犯罪における国内情報共有体制」について改善策の概要を説明した。

 

この一連の報道に関し、2001年から2003年まで沖縄担当大使を務めた筆者には、解せないことが幾つかある。

 

拙著「普天間飛行場、どう取り戻す?―対立か協調かの選択肢」(2020年時事通信出版局KK)で述べたように、少なくとも筆者の外務省沖縄事務所勤務中には、沖縄県、沖縄米軍、国の出先機関の間で、このような「プライバシー保護の観点からの情報共有問題」が持ち上がったことはなかった。一体いつ頃からこのような問題が発生するようになったのだろうか?

 

筆者は年金生活者であり、外務省始め日本政府に対するアクセスは既に持っていない。従って自らの直接経験を踏まえて上梓した拙著に沿って、推察してみるしかない。

 

先ずは、事件当時者のプライバシーを保護すべきことは言うまでもない。その上で、当時沖縄県、沖縄米軍・在沖縄米国総領事館及び日本政府の出先機関3者間では、公式、非公式に「情報共有」が頻繁に行われていたことを思い起こしたい。公式の協議機関としては、1979年7月に三者連絡協議会が設置され、また、2000年10月にワーキングチーム(米軍人・軍属等による事件・事故防止のための4協力ワーキングチーム)が設置され、定期的に話し合いが行われていた。しかし、2002年以降三者連絡協議会は開催されず、また、ワーキングチームについても2017年4月の会合を最後にして米軍基地関係自治体、政府出先機関と在沖縄米軍。米国総領事館の会合は開催されていないようである。

 

筆者の那覇在勤中から、地元メデイアでは、これらの会合は米軍の事件・事故再発予防に対して県民の要望する十分な措置を取っていないとの批判が行われていた。その批判には十分耳を傾ける必要があるが、一方、会合開催を止める理由にはならない。いま地元メデイアは、これらの会合が開催されなくなった経緯について、報じようともしない。その報道姿勢には疑問を持たざるを得ない。

 

安倍内閣時代、翁長雄志知事と官邸との間には、意思疎通の面で大きな問題が生じていた。2014年に沖縄県知事に就任した翁長知事は、普天間飛行場代替施設の辺野古移設・建設について絶対反対の立場を唱え、菅義偉内閣官房長官との間ですれ違いのやり取りを繰り返していた。2018年翁長知事は病に倒れ、後を継いだ玉城デニー知事は菅義偉総理大臣に対し、政府との対話を求めたが、対話の場で「辺野古新基地建設」を繰り返すだけで、何ら譲歩の姿勢も示さず、実質的な対話は行われないまま、現在に至っている。

 

ワーキングチームの最後の会合が2017年4月であったことを考えるならば、恐らく日米両政府出先機関側も沖縄米軍基地関係自治体側も、安倍内閣と翁長県政の実態を見て、会合を続けるモメンタムを失ってしまい、その後玉城デニー知事になっても、同様のすれ違いが継続されたのであろう。こうした消極的な姿勢の継続によって悪影響を受けたのは、沖縄県民である。

 

日米両国政府も沖縄県も基地関係自治体も、こんにちの「米兵犯罪情報共有問題」について共同責任を負っていると考える。地元メデイアが、翁長・玉城県政の「負の遺産」について取り上げようとしないことも、県民の利益に沿わないと考える。

 

この機会に日米の関係機関は、過去の経緯を十分に検討の上、米軍関係者による事件・事故の再発防止に関する相互協力の在り方について、早急に結論を出すべきだと考える。上記の玉城知事の「抗議」も林官房長官の「新措置」も、物事の本筋から離れていると考える(20240707)