20220713

 

                         沖縄から見えるウクライナ戦争」(第3部)

 

                        -沖縄戦の“古典”を通して見るウクライナ戦争-

 

去る6月23日の沖縄戦全戦没者追悼式が終ったのち、私は沖縄戦の“古典”とも呼ぶことのできる仲宗根政善著「「沖縄の悲劇 ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」と沖縄タイムス社編「沖縄戦記 鉄の暴風」を、改めて読みました。そして、復帰50年という節目の年の2022年、ロシアによるウクライナへの侵略戦争が始まり、また、その長期化が予想される現在、高齢者・女性・子供など弱者の立場、一般庶民や軍隊に様々な形で協力する非戦闘員の立場、軍隊や自由防衛軍などの戦闘員の立場などから、日本人としてウクライナ戦争をどのようにフォローすべきかについて、考えてみました。

 

(1)「ありのままの体験記録」の重要性

 

上記2冊の著書に共通するのは、「乙女らが書き残そうとした」、「住民側から見た」沖縄戦の体験です(それぞれの「まえがき」から引用)。ここには当時の政府高官や軍隊幹部の政治的な思惑には関係のない生の声が綴られています。

 

一方、現在テレビなどで報道されるウクライナ戦争の映像や解説は、ウクライナ、ロシア両国政府による情報戦の影響を受けていると想像され、私たち日本人には、戦況の全体像を把握することは難しく、どのような形で戦争が終わるのかについても、見通しがつきません。無辜の住民に対する殺戮は恐らく続いているものと察しますが、報道は断片的であり、現在国際刑事裁判所関係者によってウクライナ国内で行われている現地調査の実態もよく分かりません。

 

このような状況下では、戦争に巻き込まれている人たちの生の声を系統的にフォローすることは非常に困難ですが、明らかなことは、ロシアが国連憲章に違反し、隣国ウクライナに対して軍隊を送り込み、それに対してウクライナの国民が一致して祖国防衛のために戦っているということです。プーチン大統領は、ウクライナ国内のネオナチを掃討するために「特別軍事作戦」を行っていると繰り返し述べていますが、ウクライナは自由で民主的な選挙によって選出されたゼレンスキー大統領を国家元首としており、ネオナチ勢力ではありません。プーチン大統領の発言は、ロシア軍のウクライナ侵攻を「正当化」しようとする作り話に過ぎません。

 

歴史の教訓を活かすためには、生の声を聞き取り、それを現実の政治情勢に当てはめて何を学び取るかを自問自答する頭の体操をすることが重要です。沖縄戦とウクライナ戦争をめぐる諸情勢は大きく異なっています。一般庶民が平和を願っていたとしても、突然戦争に巻き込まれるという現実をどのように受け止めるか、これが重要になります。

 

 

(2)沖縄戦とウクライナ戦争を同列で捉えることの危険性

 

この7月4日、ゼレンスキー大統領は東洋大学で開かれたオンライン講演会で、「平和が思い出に変わってしまった」「教育や仕事の自由を与えてくれる平和を裏切らないでほしい」と訴えました。

 

現在ウクライナの東部地域を中心に展開されている戦争と75年有余前の沖縄戦は、「平和が思い出に変わってしまった」という点で共通点の多いことは、上記2冊の本を読んでもよく分かります。一方、アジア・太平洋戦争で大敗北をして以来、戦争の惨禍を全く知らないで過ごしてきた日本国民にとっては、現在ウクライナの一般庶民がどのような状況を頭に描くことは非常に困難です。どうしても遠い国の出来事であるとの感を拭いきれることはできません。

 

沖縄戦は、大日本帝国が開始したアジア太平洋戦争の最終局面の一つとして、日本の領土内で展開された戦争です。これに対してウクライナ戦争は、プーチン大統領が隣国ウクライナの主権を踏みにじり、ウクライナ国内で展開されている戦争です。日本国民として、ロシアに対して、直ちに戦闘を停止するよう訴えることは当然のことですが、ロシアとウクライナを同列に扱い、双方に平和を訴えることは、侵略戦争と防衛戦争を同列に扱っている点で、間違いです。

 

6月19日付の或る全国紙は、沖縄戦を体験した高齢の女性に対するインタビュー記事を1面トップに掲載しました。生きるか死ぬかの境にいたこの女性が、「無抵抗の者は殺しません。」との米軍の投降呼びかけが続く中で、暗闇の壕の向こうに光が見え、差し伸べた米軍兵士の手を握ったときの様子を生々しく語っています。読者は、戦争の残虐さと命の大事さを痛感したことでしょう。一方、同じ女性は「沖縄戦の教訓は、命を何よりも大事にすること。これが通用しないなんてことはない」と述べています。もしもウクライナ国民がこの発言を知ったならば、何を思うでしょうか?

 

残念なことに、プーチン大統領がウクライナの無辜の住民が殺戮されていることに動じている様子はなく、ゼレンスキー大統領は住民が戦闘地域から脱出するよう求めるとともに、ウクライナ軍兵士やその協力者たちが長期戦に耐えることができるよう最大限の努力を重ねています。

 

ウクライナでは政府と国民が一丸となって戦っています。私は、ウクライナ軍やウクライナの民間防衛隊が一般住民の命を守らず、安全な場所に逃げ込んでいるといった報道に接したことがありません。沖縄戦での「軍隊は住民を守らない」ことの実例、軍人や公職に就いていた人たちに垣間見られた「自分の命ファースト」といった様子も報道されていません。よく報道されるのは、高齢者が、「破壊された故郷に残る以外に行く場所がない」と悲痛な声を上げている様子であり、若い女性が進んで、危険な戦闘地域で、医療活動に携わっている姿などです。一方、一般住宅に対するロシア軍のミサイル攻撃、ロシア軍の引いた後に残る処刑されたとみられるウクライナ人の遺体などロシア軍による残虐な場面は、しばしば報道されます。

 

平和や命は非常に大事です。一方、日本人としては、命を賭しても侵略されている祖国防衛を優先せざるを得ないウクライナ国民を無視することはできません。平和を唱えるだけでは、平和が来ないことは、厳しい現実です。(続く)