コロナと普天間・辺野古問題(政府と自治体の関係) (vol.4-20100810)

         

私たちにとって「正体のよく分からない」相手である新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大防止に対し、いま「オール日本」で取り組みが行われています。その過程で、日本社会の様々な課題が浮き彫りになってきています。

 

統治と民主主義という国の根幹の在り方、感染の実態把握、迅速な情報収集、的確な分析と適切な防止対策、適時の情報開示、分かりやすい対外説明、“自粛警察”と差別拡大の抑制、国民の政府への信頼性の確保などと並んで、政府と地方自治体間の相互連携・相互協力の在り方が種々の議論が連日メデイアで流されています。

 

この政府と自治体との連携・協力の在り方を巡る議論から、普天間・辺野古問題について得られる教訓を、ここで総論的に取り上げることにしたいと思います。

 

1 基本的方向性

 

コロナ問題で誰もが求める基本的な方向性は、「感染拡大の防止と経済の両立」です。この点で政府と自治体の間には意見の違いは何もありません。大きな課題は、政府がその方向性(総論)に関連付けて具体的施策(各論)を講じるというプレゼンができていないことにあります。

 

沖縄米軍基地問題については、政府と沖縄県の間では対立が顕著です。一方、日米安保体制

の支持と米軍基地負担軽減の重要性については、政府と県との間に意見の違いはありませ

ん。問題は、普天間・辺野古問題を巡ってその二つの両立を図ろうとする場合、翁長県政以

来、政府と沖縄県の間では対立が表面化することです。何故でしょうか?

 

沖縄戦を含めアジア太平洋戦争を通じて日本国民は大変な惨禍に見舞われ、戦争は二度と

繰り返したくないという気持ちを深め、平和を希求してきています。同時に敗戦から今年

で75年目を迎える日本では、国民の多数は自らの防衛努力と日米安保体制の維持発展とい

う二本の柱で成り立つ日本の基本的安全保障政策を支持するようになっています。つまり、

平和を希求すると同時に、現実的な安全保障政策を支持しているのです。

 

さて戦後75年を迎える今でも、沖縄県民による米軍基地負担は過重なままです。沖縄復帰に際し、県民が強く念願した「本土並みの米軍基地負担軽減」は実現されていません。国民はこの沖縄県民の願いを理解しています。同時に、沖縄県と本土との間の米軍基地負担の均等化を図ることの難しさも理解しています。

在沖縄米軍基地の機能を損なわない範囲で普天間飛行場の返還を図る1996年の日米SACO最終報告というものは、こうした県民の願いと日米安保体制の維持の両立を図る狙いを持っています。

 

2 歴代知事の対応ぶり

 

繰り返しになりますが、日米両政府は、1996年のSACO最終報告発表以来、普天間・辺野

古問題を沖縄県民の米軍基地負担軽減の一環として捉えてきています。これに対する歴代

知事の対応ぶりは次のようなものでした。

 

革新系の大田知事は、SACO最終報告の中核である普天間飛行場代替施設の県内移設案に

対する県の対応ぶりを約1年間決めませんでした。1997年12月の名護市民投票の実施と

辺野古受け入れ反対というその結果に対する比嘉市長の対応ぶり(詳細は拙著参照)を見て、

1998年2月、代替施設を辺野古周辺に建設する政府案は受け入れられないと最終的に判断

しました。

 

当時、政府は、平和主義・理想主義を掲げる革新系の太田知事が最終的に辺野古移設反対し

たのは、イデオロギー上の相違の結果である、と受け取ったことでしょう。

 

大田知事を破った稲嶺知事と後継者の仲井間知事は、ともに保守系知事で日米安保体制を

支持する立場でした。自民党政権の間に短期間だけ続いた民主党連立政権という大きな日

本政治上の動きに翻弄された仲井間知事は、辺野古移設の賛成→反対→賛成と立場を変え

ました。その時々の政府は、仲井間知事の対応を柔軟と受け取ったことでしょう。

 

仲井間知事を倒した故翁長前知事は、自民党県連幹事長を務めたこともある日米安保体制

是認の保守系政治家でしたが、「辺野古新基地」建設反対の立場を鮮明にして政府との対立

路線を進みました。後継者の玉城現知事も保守系知事で、基本的には前知事と同じ路線を踏

襲しています。

 

政府にとっては、また、恐らく国民の多数にとっても、日米安保是認の保守系沖縄県知事が、

県民全体の基地負担軽減という大きな枠内で普天間・辺野古問題を捉えるのではなく、「辺

野古新基地」建設反対に焦点を当てて政府との対立路線を進めてきていることは、理解し難

いところでしょう。

 

政府と沖縄県の対立が続く限り、沖縄県も関与した形で米軍基地負担の軽減が期待できな

い状況が続いていることも、大きな問題です。

 

 

3 コロナ問題から得られる教訓

 

ここで、コロナ対策を巡る基本命題を援用して、普天間・辺野古問題について総論的な課題

を取り上げることにしましょう。

 

コロナ対策の場合は、感染拡大の防止と経済の両立を図る目標を追求するという点で、政府

と自治体の間だけでなく、国境を越えてすべての国との間で共通した取り組みをしている

ことが、大きな特徴です。

 

一方、沖縄米軍基地問題については、玉城知事は、日米安保体制の是認と「本土並み」基地

負担軽減に対する沖縄県民の願望の両立を図るという点で、政府と基本的方向性を分かち

合っているはずです。それにもかかわらず、なぜ「辺野古新基地」建設について「オール

オア ナッシング」の路線を続けているのでしょうか?

 

もしも玉城知事が「辺野古新基地」建設によって県民の基地負担が全体的に増大すると考えているのであれば、SACO最終合意以来の負担軽減措置の実施によっても県民負担は増大することを、単独或いは政府との共同で、検証すべきでないでしょうか?これが、拙著「普天間飛行場、どう取り戻す?」で取り上げている一つの提言です。

 

玉城知事は、「対話」による解決を謳っていますが、上述の日米安保体制の維持と沖縄県民の基地負担軽減の「両立」という大義名分を持っている政府に対し、辺野古移設計画反対を実現するための対話を求めるということでは、政府側は乗ってこないでしょう。その結果、「本土並み」を求める県民の声は棚上げにされたままになるでしょう。

 

4 国家安全保障と自治との関係

 

国家安全保障政策は、基本的に政府が担うものです。具体的な政策決定に際し、政府が自治

体から意見や住民の意向などを聴取することがあったとしても、最終決定と実施は政府の

権限です。この点でコロナ対策とは大きく異なっています。

 

一方、沖縄米軍基地問題は、極めて多岐にわたる困難な経緯と背景を持っています。たとえ

政府が圧倒的に強い権限を持つ国家安全保障体制の枠内の課題であったとしても、政府と

沖縄県の間で、最小限の共通項、即ち共通の土台、土俵を作り上げる必要性があります。

 

そこで、拙著「普天間飛行場、どう取り戻す?」では、理想に走りすぎることなく現実を十

分踏まえた上で、日米安保体制への支持と「本土並み」米軍基地負担軽減がその土台になり

得ると主張し、そのための中長期的な戦略目標の設定を具体的に提言しています。

 

総論としては、玉城知事は恐らくこの土台を否定はしないでしょう。同知事には、普天間・

辺野古問題についても、この土台を否定しないでいただきたいと考えます。

 

「オール オア ナッシング」では何も動かないことは、稲嶺恵一元知事がしばしば話題に

する通りです。沖縄県民の「民意」と日本国民の「総意」を両立させるため、玉城知事にも、

「次の一手」を打っていただきたいと考えます。

 

3「条件闘争」の勧め

 

「条件闘争」は極めて常識的なやり方です。「対話」が「条件闘争」のために行われるもの

であることは古今東西歴史の証明するところです。この「条件闘争」がどれほど成功するか

否かは、諸般の情勢によります。しかし、それを仕掛けない限り、1996年のSACO最終報

告以来の課題である県内移設による普天間飛行場の返還までの間、政府側が進んで動きを

示すことは期待できないでしょう。

 

軟弱地盤や財政的負担を巡って、現行普天間代替施設の辺野古移設計画が新たに多くの課

題をかかえていることは事実です。玉城知事として、現行計画が自己崩壊するのを待つと

いう傍観的な態度を取るとは思いませんが、そうした受動的な対応ではなく、県民の負担軽

減に沿って「条件闘争」を行うべきではないでしょうか?それによって「辺野古新基地」建

設についても、その他数々の米軍基地問題の進展についても、県として直接的な関与を深め

ていくことを狙うべきではないでしょうか?

 

なお、沖縄米軍基地問題については、総論として取り上げるべき他の課題が幾つも残ってい

ます。Vol.5では、コロナ問題にも関連を持つ「差別」の問題を取り上げる予定です。