そう、幸せに生きるにはどうすれば良いのか。
発言力、行動力、求心力だろうか…?
はたまた
財力、美貌、肉体的強さだろうか…?
もちろんそれも、ある種の要因たり得るものである。
しかし、それらが満たされた時が幸せなのか?
答えはNOである。
問おう、
笑顔の赤ん坊はそれらを持っているのだろうか?
答えはNOである。
何も持たずに生まれてきた赤ん坊は、何故あんなにも幸せに笑うのか。
それは、不幸だと感じないからだ。
それは実は、不幸ではないからだ。
無知な彼等は、ただそれそのものと感じるからである。
もちろん、物理的にストレスと感じるものは拒絶する。
拒絶はするが、そのことに対して後々まで引き摺り、思い出した時に反芻することはない。
年を重ね大人になり、様々な出来事に対して自己の思考を馳せるようになる。
知能や経験と引き換えに、己の理想と現実の食い違いに怒り、焦り、悲観するのだ。
そこで先ほどの赤ん坊の話に戻る。
嫌なことは嫌。だが、引き摺りはしない。
なぜならそれは終わったことだからだ。
そして母親に抱かれ笑うのだ。
余計なものを削ぎ落とし、シンプルに過ぎ去り、新しい幸せに笑う。
過去には戻れない、ならばこれからどんどん幸せと感じれば良いのだ。
もちろん、大人だから我儘はいけない。
だが、我儘をしなくともうまく行かせる経験や知識は重ねた時と共になんとなく分かっているはずだ。
大人になる程不幸を感じるのではない。
大人になる程不幸という感情を回避できるのだ。
心を静かに、
子供のような澄んだ気持ちで、
沢山の好奇心に身を任せ、
人に愛されようとすることが
幸せになる一歩目なのではないだろうか。
少なくとも、伊藤純一は幸せである。
感性の話にもなってしまうので、難しいとは思うが、
シンプルに、
単純に、
良いことだけはリアクションを大きく、
嫌なことはさっさと忘れるのが良い。