米内さんの本を読むのは何冊目だろうか。この人については、あまり悪く書きようがない。もちろん俺だって米内さんのファンであるので、なにか知らないはなしがあるといいのだが、と読書スタート。
出生地盛岡での幼少時のエピソードがてんこもり。それもそのはず、著者が盛岡市出身で、この本自体も産経新聞岩手版に485回にわたって連載されたものがベースだという。それにしても出身の盛岡中学の同時代の仲間の多士済々ぶりよ。及川古志郎、板垣征四郎、金田一京助、野村胡堂、石川啄木なんて面々がわずか数学年の間にひしめいていた。米内さんは育ちのよさと柔道の腕っ節から、ずっとリーダー格だったようだ。
ひとつ、読書前から注目していたポイントがあった。それは米内さんの泣き所といわれることふたつ。①上海事変を拡大させたこと、②特攻について口をつぐんでいること、だ。①についてはその苦衷がとりあがられ、‘光政は毒杯でも仰ぐような心境で’とある。②については、またもとくに記述なし。まあ、これからも米内さんについては何冊も読んでゆくことになるので、いつかわかるだろう。
平成18年 (原著は平成10年)
光人社NF文庫
松田十刻 著
購入価格 : \110