横浜最後の平原 | 健全なVINYL中毒者ここにあり

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昨土曜日は午前中で仕事を終えたものの、昼前から雨が降り始めた。毎週のように雨模様を気にしなければならぬことに消沈したが、やがて止んだ。バイクにはいい天候だ。

 

ちょっと寄り道。先月の横浜市長選では、田中康夫候補が唱えていた上瀬谷米軍通信隊跡地の活用策がちょっとだけ話題になった。‘消防・救急・医療・保健の統合型レスキュー拠点’を作るというものだった。前ハヤシ市長は博覧会だ、テーマパークだ、なんちゃらライン敷設だのと景気がよいはなしばかりしていたが、俺はそういうのは嫌い。見に行くことにした。

 

 

横浜の最西部、大和市に接するエリア。米軍厚木基地からも遠くない。俺は普通でないアプローチをしたのだが、畑と森を抜け、気づいたらそのエリアに入っていた。

 

 

え、北海道に来た?とは大げさだが、横浜で周囲360°に建て物がほぼ見えないところなんて他に無い。2015年まで米軍通信隊がいたため高さのある建造物は厳しく制限されていて、現在でもとても見晴らしがいい。野球場は残されているが、米軍施設はみな撤去されている。

 

横浜市はお役所仕事をしなければと焦っていろいろブチあげたが、テーマパーク策は頓挫(でもそれは秘密らしい)、その後のなんとか軌道だかラインだかも正式発表には至っていない。

 

 

水たまりをバイクで走りぬけようとしたら、沼だった…。バイクは途中で立ち往生、右足のスネまでガッポリいったぜ。

 

 

これはこのまま、広い野原にしておくのが一等国の思想だと思う。土地の所有者というのが細切れにたくさんいて、私も知人でいるのだが、彼らとしては利用価値のないこれらの土地(まだ建築制限下)を、米軍管轄下にあった時と同じようにしっかりした価格で公的に借り上げて欲しい、と考えている。彼らの言いぶんはもっともだが、やっぱり横浜市が一括で買い上げて、広い草っぱらにしておくのが一番いいんじゃないかい?そしていざというときの災害対策拠点に活用すればいい。横浜には平らな土地がまったく無い。

 

皮肉なことに、そこそこ広い現在の根岸新林公園、岸根公園なども、以前は米軍が使用していて、後に日本に返却された土地だ。美しい丹沢山系、富士山を望める、やっぱり広い深谷の通信隊跡地は、2014年に返還されたもの。日本人は平原の保有がヘタなんだ。

 

新市長もここをぶっつぶす気でいるみたいだから、今回このきれいな平原を見たことは、貴重な経験になってしまうのかな。

 

しんみりしながら、バイクを西へ走らせた。

 

 

ああ、もうそういう時期か。あちこちの田で収穫が始まっている。

 

 

定点観測PART3。ちゃんと日当たりを考慮して干す。それにしても周囲にバッタの多いことよ!デカいやつ。米を作ってんのかバッタを育ててんのかわからないな。

 

1540にコテージ着。靴脱ぎ石の横で跳ねる生物が。

 

 

かわいいねー。俺はカエル、ヘビなどを見つけると、必ず捕まえることにしている。

 

 

夕食は初トライのこれ、おいしかったよ。それにしてもシェフのテカテカ顔ったら!

 

 

インド人化?

 

湿気が高くて、動くと汗が出るけれど、2200過ぎの就寝時はさわやかで気持ちよかった。

 

 

おはよう!0720起床。雨こそ降っていないけれど、厚い雲に覆われている。

 

午前中はときおり雨も降っていたので、バイク旅は今週も中止。室内でゴロゴロして過ごした。

 

 

草をかきわけ栗拾い。タダのものにしてはおいしいんだよ。

 

一日中曇り。1530に現地発。毎週末行っていて、我ながらよく飽きないものだ。