MTVで松田聖子の「あなたに逢いたくて」が流れていた。

すごく胸がきゅんとした。

あの人に会いたいなあって思う人、いないと思ってたけど、一人いました。

でも、会ってどうなるものでもないし、どうしたいというのももはやない。

今世でまた会える人なら、きっとどこかでまた会えるはず、と信じている。

メアドも知ってるし、住所も知ってるけど、あえて何もしない。

次に何か大きな出来事が起きたら報告するのを楽しみに、

その人と出会えたことを感謝して、

その人がわたしという人間に出会ったことを喜びに思ってもらえるような、

そういう女性になりたい、と思った。


同じようなことをされても、ピキッて反応しちゃう相手としなくてスルーできる相手といる。

また、私に対する評価でも、ムムっと反応するコメントと、しないコメントとある。

反応しちゃう相手は、きっと私の中の自分でも認めたくない部分を見るからなんだろうなあ。

もしくは、私の中のブラックな要素(主にねたみ)が反応してるんだろうなあ。

そして私は、「真面目だね」といわれると、すごく反応する。

それはなぜなんだろうなあって思う。

真面目はよくないことみたいな風潮に傷ついたからかなあ。

不真面目な方が人気者だったりしたから、コンプレックスがよみがえるのかなあ。

不思議じゃのう。

嘘がなぜ悪いかというと、相手を傷つけるからだ。

というか、エネルギーの通りが悪くなる気がする。

真実の自分でいられなくなるから。

だから、不倫とか浮気とか二股とかしてると、

一瞬自分はモテモテのいい女(もしくは男)みたいな気持ちになるけれど、

だんだんすさんでいくのかな、と思った。

経験的にそう思った。


今、10日間メンタルダイエット中。

ネガティブな思考(暗い気持ち、不毛なコンプレックス、愚痴、不満、不安、嘆きなど全て)を、1分以上しないというもの。

習慣的にネガティブチャンネルに、無意識にスイッチを入れてることに気がつきました。

これって、意地になって気持ちを否定するのではなくて、

「ああ、今私ってこういう気持ちになっちゃったな。キャンセル」っていう切り替えになります。

ためになるなあ。

でも、激しいPMS時には逆効果な気がするので、こういう調子のいいときにはじめるのが、コツといえばコツかも。





読者登録がお一人様増えていて、びっくり。

読んでいて面白いって・・・面白くないと思うけど、面白いですか?


今日は願い事を、書いておきます。


1、夫の転職がうまくいって、最良のタイミングで最小の自己負担で日本に帰れますように。

2、中国語が上達しますように。

3、もっともっと自分のことを愛してあげられますように。

4、2000万円キャッシュでポンと手に入りますように。

5、最良のタイミングで子供が授かりますように。

6、私たち双方のお父さんとお母さんが、健康で安らかで平和な老後を送ることが出来ますように。

7、おっとが二度と浮気しませんように。

8、ヨーロッパに住めますように。


へへへ。

7は秀逸でしょ。


私、思えば自分だけがつらい思いをしていると思って、

自分以外の人はみんな幸せで、そのことをずるいと思っていたし、

またすごくひがんで世の中を捉えていた。

だからすごく嫉妬深かったし、自分を責めるのと同じように、他人も攻めていたような気がする。

幸せな人がとてもねたましくて、反面自分はとてもつらくて、自分の幸せは許してなくて、

というより「私は幸せ」という人を、信用していなかったし、

むしろ不幸な状態の人のほうが、正義であり真であり・・・みたいなふうに捉えていた。

すごくあいまいな言い方だけど、まあいいか、自分がわかれば。

とにかくそんなこんなで、

広い意味で「いい思いしている人」全てが、許せなかったのです。

ということに、さっき気がついたんだよー。

そりゃー、どんなことしたって私が幸せになれるわけないはずだよなあ。

いい思いしている人って、どういう人かっていうと、それはつまりは自分以外の全ての人、

自分と母以外の全ての人、だなあ。

ああ、許すって、こういうことなんだー。

私は、許します。



中心を相手においているから、すごく焦ったりさびしくなったり腹が立ったりするんだと思った。

自分を中心に起きたい。


うまく言えませんが。

この間、PMS真っ最中の時に、

すごくリアルに自分の中のインナーチャイルドを感じた。


わたしは子供の頃、本当に田舎の山の中で育った。

それはテレビや映画の中のように、牧歌的で素敵なことでもなんでもなく、

選択の余地などなくそこで生きるしかない、そういう感じ。

ふるいかやぶき屋根の土間がある家だった。

そういうとすごく素敵なイメージがあるでしょう?

でも、全然不便、北半分はとっても湿っていて暗い、そういう家だった。

家は街道沿いの住宅が集まっているところから、かなり離れていて、

子供の足では15分以上かかる坂道のうえにあって、

世間とは隔絶されたところだった。

子供の私にとって、

本当にそこが、私の世界の全てだった。

出て行くことが怖い、といつの間にか思うようになってしまった。

その「出て行くことが怖い」と思っていて、

そこにいれば安心(決していい意味ではない)と思っているのが、

私のインナーチャイルド、と実感したのです。

それに気がついたとき、泣けて泣けて仕方なかった。

あの孤独な魂を持つ小さな私、喜ぶことをしてあげたいと思った。

私の「我慢グセ」は筋金入りで、

当時から母親を困らせたくない(すなわち、父親を怒らせたくない、祖父母にこの子はいとこと比べるとわがままでだめな子だと思われたくない)一心で、

欲しいものより、欲しがると喜ばれるものの方を、欲しがっていた。

また、よく父が「欲しがる奴にはやりたくないものだ」と常日頃言っていたので、

欲しがっちゃいけないと思うようになったのかもしれない。

だから、今でも「何でも欲しいものを選びなさい」といわれると、

軽いパニックに襲われる。

何かを望むことは、安全なことだよと、ずいぶん年取っちゃったけど、

でも教えてあげたいと思う。




留学生の女の子が、学生なのにグッチの時計をしていて、

さらに他にもっと高価な時計も持っていると聞いて、とっても驚いた。

彼女のバッグはシャネルのクルーズラインで、

昨日着ていたノースリーブの服は、エルメスのロゴ入り。

お金持ちだなあと思う。

この国は確かに学費も物価も安いけど、

それでも留学ってお金がかかるでしょう。

それなのにあのブランド・・・いつもおしゃれだし。

手抜きの自分を情けなく思ってしまいました。


ブランド物って、追求するとキリが無い世界。

否定もしないけど、そればっかり求めるのも違う気もする。

出来れば、ブランド物のほうが寄ってくるような、

そういう人に私はなりたい(宮沢賢治ふう)

なんだかこのごろ、いまさらの新婚生活です。

そもそも本当の新婚の頃は、いっつもいらいらけんかばかりしていて、

そのうち転勤で転居、と楽しい思い出が無かったのですが、

激動の7,8,9月をおえて、いまさらのように毎日、ラブラブとしています。

夫が、手に取るようによくわかるラブラブとかわいい女が好き、というのも、

今さらのようによ~くわかりました。

私は、どっちかって言うとドライでクールなところがあるので、

母譲りですけどね、かわいく甘えるということが苦手で苦手で。

やれば出来るんだけど。


先日、怖いことを書きまくったので、胸のうちがすっきりしています。

やっぱり溜め込むのはよくないですね。

いっつもいっつも愚痴ばかり言うのは、美しくないし、幸せを招かないと思うけど、

見てみぬ不利で溜め込むのも、またよくないなーって思いました。


そんなこんなで、もう10月。

早いですねー。


今日はせっかくなので、持っている恐れを手放したいので、書いちゃう。


生きていくって、怖くないですか。

実は、生きていくって、不安の中、未知の世界に踏み出すのと同じなので、

急にすごく怖く感じる時があるのです。

この先、果たして何十年も生きていけるんだろうか・・・

もうなくなったけれど、私はいつも祖父母に対して、畏怖の念を感じていた。

というか、全ての高齢者に敬意を感じる。

だって、あなた、日本は戦争に勝ったり負けたり、ありえないほどの大混乱を経て、それでも生き続けてこられた人々なんだよ。

私なんて、足がすくんじゃって、もう生きていけないって思っちゃう。

私は、失業や破産が怖いし、

病気や痛みも怖いし、

失敗や後悔も怖い。

貧乏もいやだ。

国家的な大事件があって、今までの平和な日常が覆されるのも嫌だし、

不況もオイルショックも原発事故も嫌だ。

人の親になるなんて、怖くて出来ないし、

誰かと改めて深い関係になるのも怖い。

怖いことだらけ、不安なことだらけだ。

だけど、みんな割りと平気な顔して生きている。

どうしてできるの?

みんな、未来に対して希望しか持っていないの?


すごく不安。

すごく不安。

今まで生きてきた中で、今が一番将来が不安。