みだりに人の師となるべからず
みだりに人を師とするべからず
昨日から、新春ワークショップがスタートしました。
なぜか私のことを「師匠」とか「メンター」とか言ってくださるありがたい方がいらっしゃるのですが・・・・
とーんでもないことです。
私は、私が信じる道を進んでいるだけです。
ご縁がある方には心を尽くしますが、そもそも、本業以外は、至らないところだらけです。
「人の可能性にかかわらせていただく」
ということに関しては、自信と誇りを持っていますし、プロフェッショナルだと思っています。
でもね、後はダメダメなのです。周りの徳の高い方のおかげで、なんとか生かされています。
こんな未熟な私が、人様を導こうなんて、高尚なことは思っていません。
あくまで、私の人生という旅の途中で知り得たことを、ご縁あった方に、惜しみなく、分かち合う。
それだけなのです。
「すごーーーーい♪大ファンです」という人に限って、すぐに離れていきます。
「あなたのおかげで人生が変わりました」という人が、明日も同じことを思っているかは、わかりません。
「あなたのような人を、ずっと探していました」という人は、同じようなことを、他の人にも言っていたりします。
何が言いたいかというと・・・・・
人は本当に、その人の気分で生きているということ。私も含め。
今日は右に進んでも、明日は左どころか、下かもしれないのです。
人はそれほど、もろいもの。あてにならないもの。
そんなあてにならない誰かのために、生きる必要はないのです。
そんな、あてにならない誰かのために、あなたを犠牲にして、我慢する必要はないのです。
そもそも、人は救えないし、助けられない。
それが大前提です。
「どんな問題でも解決します」「あなたを救います」というのは、
その問題で悩み苦しんでいる人を、軽んじる発言だと思うのです。
自分のことを、本当に救えるのは、自分だけ。
その前提で、やりたいことを、できる範囲で、できる限り、心をこめて。
そんな私に、もしできることがあったら喜んで。
そんな軽い感じが、あなたにとっても、周りにとっても、結果、いい影響を及ぼしていきます。
また、人のためにと、自分を犠牲にして我慢していると、生命エネルギーがさがります。
そのほうが結局、相手に注ぐエネルギーも減ってしまうのです。
最後に、師として、「人を育てる」というのは、覚悟と責任が違うと思っています。
もし仮にできたとしても、人生で一人か二人くらいだと。
私はあくまで、職人であり、プレイヤーです。
人生でいっぱい実験して、つまずいたり、失敗して、生傷つくりながらも、生きるのが楽しいのです。
今日は、新月ですね。
あなたにますますの幸せが訪れますように。
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