【死して悔いなき者は與にせざる】(述而第七) | つねにコーチであるために

つねにコーチであるために

いつも話を聴く姿勢であり続け
いつも相手を認めることを忘れず
人として生ききることを目指している。
つねにコーチであるために、一期一会一日一日を大切に歩んでいます。

(述而第七)

子路(しろ)曰わく、子(し)三軍(さんぐん)を行(や)らば、則(すなわ)ち誰(だれ)と與(とも)にせん。子曰わく、暴虎馮河(ぼうこひょうが)、死(し)して悔(くい)なき者は、吾(われ)與(とも)にせざるなり。必(かなら)ずや事(こと)に臨(のぞ)みて懼(おそ)れ、謀(ぼう)を好(この)みて成(な)さん者(もの)なり。

 

【訳】

子路は先師に尋ねた。

「もし全軍を動かして戦うときには、先生は誰と共になさいますか」 先師が答えられた。

「虎を手打ちにし、大河を徒歩で渡り、死 んでも悔いないような無謀な者と私は一緒 にしない。誰かと一緒にと言うなら、戦に 臨んで恐れるくらいに計画を綿密にしてや り遂げようとする者とだなあ」

 

*孔子は「志士仁人は生を求めて仁を害することなく、身を殺して仁を為すことあり」といい、 天下周遊中幾たびか生死の極限状態に遭遇したが、道の体現者としての信念から死もまた辞さなかったのである。しかし無意味な死は畏れ、 敢て軽挙妄動することはなかった。 ただ子路は元来町のあんちゃんから孔子に傾倒して門下になっただけに、時々生地を表すことが多かった。孔子は彼の将来を案じ、その都度たしなめられた。

 

<論語が醸すコーチング>

【死して悔いなき者は與にせざる】死んでも悔いないような無謀な人とは誰もが行動を共にしないので、コーチはクライアントが無謀な行動を実行しようとしていたら、綿密に計画と準備を以て行動できるようサポートしている。