(里仁第四)
子曰わく、朝(あさ)に道(みち)を聞(き)けば、夕(ゆうべ)に死(し)すとも可(か)なり。
【訳】
先師が言われた。
「朝に人としての真実の道を聞いて悟ることができれば、夕方に死んでも悔いはない」
*これは道を求めて悩み苦しむ極点にある時に自ら発する言葉であろう。孔子や釈迦も修行時代には幾度も抱いた感情であると思われるが、それだけに悟り得た時の歓喜は凡俗の想像を絶するものであったと思う。「世の人がすべて道を聞いて行うようになれば、自分はいつ死んでもよい」とする説もある。
<論語が醸すコーチング>
【朝に道を聞けば、夕に死すとも可なり】一日の始まりに人としての道を悟ることができれば、夕方に死んでも悔いはないので、コーチはどんなときもクライアントに人としての道を問いかけ、悔いを残さない人生を歩むサポートをしている。