私は「おじいちゃんと孫」という設定にすごく弱くて、
例えば公園や道で幼児とおじいちゃんが手をつないで歩いていようものなら、
そのシチュエーションに条件反射で切なさを感じてしまい、ううっと胸がつまります。
昔からそうで、何だろうこの反応は・・・と思っていたのですが、
最近は同じ反応が自分に対して起こります。
「橋本法子」そのものに対して、
おじいちゃんのようにそばで見守る「わたし=魂・本質」の視線を感じるのです。
愛する掛け替えのない孫の一挙一動、
泣いたり怒ったり笑ったり、
失敗したり成功したり、
一生懸命生きている孫を、
ただただ見つめるのが至福・・・
と感じるおじいちゃんが、わたしの中にいるのです。
これまでずーっと自分を観察し続けてきたけれど、
こんなおじいちゃんのような気持ちになったのはここ最近で、
孫(橋本法子)が何を考えても、何をやっても、どんな人生を歩んでも、
ただ生きて呼吸してくれているだけで
わしは幸せじゃよ・・・・・・
存在していてくれてありがとう・・・・
というそこはかとない歓びとせつなさが溢れてくるのです。
おじいちゃん(魂・本質)からすると、孫(橋本法子)が何をやっても本当にかわいい。
わざわざ、あっちへ行けとかこれをやれとか言いたくない。
孫が、自分の思うままに、自分の生命やエネルギーを輝かせてただ生きているのを感じていたい。
おじいちゃんの視点がわかると、
本当に、
私はただ生きているだけでいいな
と思えてくるのです。
うまくいっても、いかなくても、
好かれても、嫌われても。
反対に、色々なことを考え過ぎて、だめだめで、
もう全部いやだつらい・・・となっている私も、
その生命の輝き、エネルギーがまぶしいと思えてきます。
魂のおじいちゃんからすると
白(善・得・勝ち)も
黒(悪・損・負け)も、
どっちも同じ生命の輝きなんですよね。
白になってもいいし、ならなくてもいい。
黒になってもいいし、ならなくてもいい。
ただ、お前の生命が思いっきり自由に生きているところを見せておくれ。
それだけでわしは幸せなんじゃよ・・・・・
という、おじいちゃんの声が聞こえてきそうです(笑)
私は本当に自分を探求するのが好き。
自分が感じたことをもっと知りたいし、深めたいし、繋がりを感じたい。
世界の神秘に触れてみたい。
もっともっと宇宙そのものを遊んで感じてみたい。
深遠に、崇高に、でもくだらなく、軽やかに、自由に。
もっともっと、許可していこう♡
