☆ハーレム日記リバイバル☆ 第129号 <バリ編>名前どおりステキ!キンタマーニ高原 | NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第129号 <バリ編>名前どおりステキ!キンタマーニ高原

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                          第百ニ十九号11/17/2001

                           Harlem日記
      
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*****<バリ編>名前どおりステキ!キンタマーニ高原*****

ホテル・インペリアル・バリの部屋にはロビー同様に木彫りの工芸品が飾って
り、照明もその木彫りがライトアップされるようになってるという凝ったつくり。


大きなテレビではインドネシアの放送以外にNHKやCNNも見れる。日本の子供番組も吹替えで放送されていた。

シャワーをあびて、バリらしい唐草模様のような水色のムームーに着替える。
「ヒロエ、レストランへは、このままじゃ行けないわよね。」と母。
「当たり前でしょ、温泉旅館じゃないんだから。」

部屋には歓迎の印に果物が置いてある。
「この珍しい果物は何だろうね。」食いしん坊な母が早速、黒っぽい果物の皮をはいで口にする。
「アケビっていう果物に似てる。」

「バルコニーもあるし、中庭が見えるよ。」母がバルコニーに出る。
「うわぁ〜ヤシの実も見えるよ。」南の島って雰囲気の木々に囲まれて、ごきげんだ。

「本当だ〜。よかったでしょーこの観光客が少ない時期に来て。ギリギリに予約したのに、こんな素敵なホテルに泊まれるなんて。」
「夢みたい。」と母はヤシの木を眺め続ける。

夜もふけ、ホテルのレストランに直行。ここは鉄板焼きのレストランが有名らしいが、なんだか地元の料理を口にしたいので、もう一つのレストランに入った。


観光客が少ないせいか、宿泊客も少ない。私たちと入れ違いに一組の客が出て、8時だというのに私たち家族だけになった。

静まりかえったレストランは、ぽつんと3人ひなびた田舎の大衆食堂にいる気分。


「兄ちゃんは何食べるの?」メニューに目をやる。
「ミートスパゲティーにしよう。」
「えぇーせっかく、バリに来てるんだから、こちらの食べ物にすれば?」母と私が声を揃える。

「だってミートスパゲティーが食べたい。」
「じゃあ、お母さんはナシゴレン(焼飯)にする。」
「私は、ミーゴレン(焼きそば)にしようっと。」

食事がやってきた。
「お母さん、このスパイスあんまり好きじゃない。」食べることだけが生きがいの母は残念ながらインドネシア料理が口に合わないらしい。
 

「スパイスは大丈夫だけど、確かに美味しいと絶賛するほどのものでもないね。でもサイドについてるエビせんみたいなのは美味いよ。」と私。

「兄ちゃんミートソースにして正解だったね。」と母が兄のミートソースを一口だけ横取りする。
 

口に合わないと言いながらも、残すということを知らない母は、きれいに皿を平らげた。

次の朝、朝食はバイキング方式。私は朝粥と、焼いてもらったオムレツ。パン好きな母は強欲にデニッシュをいくつも確保している。

 

兄はカレー好きなので朝からカレーポテトを食っていた。ウゲッ!奴らの食ってるものを見てるだけで胃が重いぜ。

食事が終わってロビーに行くと、既にスリタさんが迎えに来ていた。
「今日は、まず9時半からバロンダンスを観ます。」と説明して車を走らせた。

「うわぁ〜スリタさん、バリはバイクが多く走ってるね。」と私。
「そうですね、今は通勤時間です。バリでは大人2人、子供2人の4人までバイクに乗れます。」

「ひゃぁ〜そんなに乗れるの?」と言うやいなや、言葉どおりに4人乗ったバイクが目の前を横切った。しかもスクーターみたいな小さなバイク。コアラが数匹抱き合うように家族4人で小さく丸まっている。

「すご〜い!危なくないのかな。」
「大丈夫です。慣れてますから。」スリタさんが笑う。
「信号も、少ないし事故も多いのでは?」と母が問う。
「事故は少ないです。」

「ヒンズー教徒が多いから、譲り合いの精神がしっかりしてるからかしら?日本だったら、我先で大事故になってるわ。」母は、すっかり自分が運転してる気分でブレーキを踏む足に力が入るらしい。

「狭い道路で対向車が来てるのに追い越しかけてるんだから、驚くわよ〜。こんな運転で事故が少ないなんて嘘みたい。」と母が感想をつけ加えた。

バロンダンスの会場は、天井の高い四角すいの屋根。鍵盤打楽器オーケストラ『ガムラン』。木琴のような清んだ音色が会場に響きわたる。獅子舞のようなバロンが登場。それにしてもギョロ目だなぁ〜。

途中には美しい姉さん2人の妖艶な踊り。動きはスローで腰をひねって主に手を動かす。目を左右にギョロギョロと動かすのも特徴。

「五木ひろし(歌手)みたいに目が細かったら、このダンスはできないね。目が動いててもわかんないから。」と母に耳うちする私。

演じる人たちの衣装も金色が上品にあしらわれていて美しい。

「バロンが善の象徴で、爪の長い鬼のようなランダが悪の象徴なんだってさ。」解説を読んで兄に説明する。

「結局、善悪の戦いは終わらないらしい。世の中に善と悪は共存してるってことよ。」

会場を出て、バティック(ろうけつ染)の工場へ。細かい模様に蝋を塗っていく作業を見学後、バティック製品を売ってるショップに入る。店員は皆、日本語で売りこんでくる。私たちが見てまわる先へ、ぴったりとついてきた。

兄は私たちが買い物をしてる間、入口付近に座っていた可愛い姉さんと話しこんでいた。
「何話してたの?」と兄に聞くと、

「日本語が上手だから、日本に来たことあるの?って聞いたら、旅費が高いから日本には行ったことがないって。行ってみたいって言ってた。25歳だって。僕のことを20代だって思ってたみたい。」と兄は満足顔。

「また来るねって言ってきた。」
「また来れるよ、きっと。」すっかりバリに戻ってくるつもりの私たち家族。

次は、銀細工の工場があるチュルク村へ。米粒より小さい銀の粒をピアスにくっつける作業を見学。本当に根気のいる仕事だ。私だったら数時間でカッカきて鼻息で飛ばしてしまいそう。

そして銀製品を売ってるショップへ。
「なんだか、日本人のためのお買い物ツアーだね。」と言いながらも、結局買ってしまう日本人の性。母や兄も日本じゃとても買わないようなブローチなんぞを手にしている。またしても店員は皆、日本語がぺらぺら。

キンタマーニ高原へ到着前に、さらにもう一軒、工芸品のショップへ。日本人のオバさんが「な〜に、そんな値段。ぜ〜んぜん、まけてな〜い!」と店員を相手に大声をあげて値段交渉していた。

いくらのバックを買ったのかな?とレジで観察してると、20ドル程度のもの。


「お母さん、あの人たった20ドルのバッグ買うのに、あんなに大声はりあげてたんだよ。私らってかなり損してない?あんまり、まけてもらってないもの。」

母はそれを聞いて、さっそく店員に問う。


「どうして、私たちは定価で買わされるの?」
「それは、値段があまりに安いものだから。10ドル以下では・・・。」という返事。しかし後に知ったことだが、たった10ドル以下でも値段交渉は必須らしい。

キンタマーニ高原は絶景だ。海抜1500m以上でバトゥール山(1717m)・アバン山(2152m)・アグン山(3142m)の三山が見渡せる。噴火時にできたバトゥール湖の湖面も青く広がっている。スリタさんによるとバトゥール山は1994年にも噴火したそうだ。

再び、高原のレストランにてバイキングスタイルでインドネシア料理を食べる。


やはり母の口に合わないらしい。確かに私もあまり食が進まない。

ツアー料金に含まれてない飲み物代だけ、レジにて支払う。母が「釣をもらい忘れた。」とレジに戻った。

 

レジでは白人の女性も再び戻ってきたらしく「It's OK」と言いながら釣をもらっていた。ってことは、この女性も釣をちょろまかされたってことらしい。皆さん、釣銭はきちんと確認しましょう!

ティルタ・エンプルという寺を見学。聖なる水が湧き出している。不老長寿の水として崇められている、その水の中で鯉がチャプチャプ泳いでいた。もしや奴等は120歳まで生きてギネスにのる高齢を誇った故・泉重千代氏にまで達しているのかも。

一日がかりのツアーも終盤をむかえる。ブキッジャンブルは、ヤシの木に囲まれた鮮やかな緑の田んぼが菱餅のように段々に重なっている場所。今までに見たことのない美しい風景だった。自然が呼吸してるように存在感がある。

ホテルに戻る途中、

「油絵には興味ありますか?」スリタさんが問う。美術館へ連れていってくれるのかと思っていたら、展示即売のギャラリーだった。店頭で油絵を描いてる人たちがいて、セールスが日本語で解説してくれる。

中へ入ると、大きなキャンバスに様々な絵が壁いっぱいに飾ってある。私は大好きなカエルの絵を見つけた。
「これは有名な画家が描いてるので、お値段は800ドルです。いくらまで出せますか?ディスカウントしますよ。」

「800ドルなんて、とても手が出ない。」といって次の部屋に行く。

「こちらは伝統的なバリの絵です。」
「きれいね〜。さっき踊ってた女の人たちが着ていた服の生地を、そのまま貼りつけたみたいに描かれてる。」と母。

「女の人も本物と同じで美人だね。このまま踊り出しそう。」

「兄ちゃんは何を見てたの?」ギャラリーで姿を消した兄に問う。
「僕が気に入ったのは海の絵だったけど、すごくきれいだったよ。オーストラリアの画家が描いたんだって。」

ホテルに着く前、スリタさんに私が見ようと決めていたケチャックダンスのツアーを予約した。バリ最終日、日本へ夜中に飛びたつ日の夕方である。

「ツアーじゃなくても自分で探して行けると思うけどね。」と母に耳うちしたが、
 

「場所がわかんなかったらどうするの。見れないじゃない。」と母。
どこまでも人まかせな日本人観光客らしい行動ではあるが、母の言うとおりにした。

5時近くホテルに戻るとへとへとで、うたた寝してるうち夜も更けた。ホテルのレストランまで行くのさえ面倒なのでルームサービスを取ることにした。兄と私はインドネシア風カレー。母はミーゴレン。

「なんだかこのカレー、肉ばかりで野菜が入ってない。」兄と私が口を揃えてブーイング。
「煮込んでるから野菜は、とけてしまったのよきっと。」と母。

結局、この日のディナーもちょっぴり満足のいかないものだった。
明日こそ、ディナーは美味いものを探すぞ!