☆ハーレム日記リバイバル☆ 第107-2号 リビングウィル「尊厳死について」 | NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第107-2号 リビングウィル「尊厳死について」

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                 第百七号 06/30/2001
                                         Harlem日記
            
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*****リビングウィル「尊厳死について」*****

今回、これを書いたのは、死が近づいている者を囲む家族のあり方、そして死に逝く当事者についても考えさせられ、そして読者の方にも改めて尊厳死について考えていただきたいからである。

この6月末に、母方の伯父が60代で亡くなった。詳しい病名は聞いてないが血液のガンだった。今年の4月の初めまでは、楽しく魚釣りをしたり植木をいじって暮らしていたという。

 

数日、食欲が減退し床に伏していたらしいが、病院嫌いの伯父を強引に病院へ連れて行き診察してもらったときには、既に末期ガンだった。

同月4月中旬に日本へ帰省した際、レイ(夫)と共に病院へ見舞いに行った。
 

伯父は元々痩せてはいたものの、本当に骨と皮ばかりになって弱々しく呼吸していた。初対面のレイが声をかけると、それまで表情も固く目をつぶってばかりいた伯父がニッコリと目を細めて微笑んだ。

この後、ニューヨークへ戻ってから母との電話で伯父が、多少回復していることを伝えられて喜んだ。「ただねぇー『植木が芽吹くのを見たい』って、うわごとのように繰り返して自宅に帰りたがるらしいの。

 

なんとか帰してあげられないものかしらねぇー」と母が沈鬱な声で言った。

「帰らせてあげられないの?」
「それが、病院は治る見込みがないから外出許可をあげてもいいって言ってるんだけど・・・延命治療してるようなものよ。」

私の父も胃ガンから小腸・大腸へとガンが転移していって60代で亡くなっている。


「もって3ヶ月です」と医者に言われてから、「なんとかして死ぬ前に一度だけでも、大好きだった競艇に連れていってあげたい。」と私は熱望し、その願いがかなって数ヶ月後に父を競艇に連れていった。

父は、それからメキメキ回復し、亡くなるまで1年半の猶予を得たのだった。

 

だが伯父の家族は「一日でも大人しく病院で治療を受けて回復して欲しい。一日でも長く生きていて欲しい」と願い、伯父を家へ連れて帰ろうとしなかった。

「家族の気持ちもわかるけどねぇー伯父ちゃんが、どうしたいかってことをまず考えるべきだよね。本人が帰りたいって言ってるなら、連れて帰るべきなんじゃないの?お母さんが説得して連れて帰るようにしなよ。

 

自分の植木が芽吹くところさえ見れれば気持ちが和らぐし生命力だって湧いてくるかもしれない。」と私は電話を握りしめた。

突然に入院してから家に帰れなくなるなんて考えただけでもゾッとする。伯父の家族は自分がそういう立場に置かれた場合を想像し得ないのか?「家族が決めたことだからねぇー私に指図はできないのよ。」と母は落胆している。

もちろん考え方が違うだけだから、家族を責めるつもりはない。しかし、一日でも長く生きてもらえればという家族の気持ちもわかるが、それは、一日でも長く生きて欲しいと願う家族の自尊心をくすぐるだけではないのか?

もちろん本人は死が近づいているなんて知らされていない、それなら尚更、本人の意思を尊重するべきではないのか。いつまでも病室に縛りつけられて、自分がどうなるのかも知らされずに生活するなんて苦しいだけだ。

母が伯父を見舞いに行くと伯父はいつも自分の身体に巻きついた管(尿を排出する管や点滴の管)を外そうとするので看護婦さんに特別室に連れていかれていたそうだ。

 

それは何度となく繰り返された。「これでは治療にならない」ということから家族と医師が相談。薬を投与して半ば睡眠状態にして治療することにした。

それからの伯父は昏々と眠っていることが多く、意識があっても口を利けない。
 

それでも1ヶ月ほどで睡眠状態から開放された。なんとか以前より回復したが、やはり帰宅は家族が許さなかった。

母は、それからも毎日、見舞いに通っていた。そして数週間後には再び昏睡状態に陥った。「かわいそうに・・・寂しかったんだよねぇー」と母が見ている前で看護師さんが伯父の身体をさすりながら言った。

母は、伯母が仕事の後に毎日通っていたにもかかわらず5分と居なかったことを知らされた。

 

「そんなことだったら、私がもっと居てあげたのに・・・」と母。私は電話で、その話を聞いて悲しさに絶句した。

父が亡くなるまでの数日間、母と私はずっと看病についていたが、ちょっとだけオシャベリしたくなって母と二人談話室へ行こうとした。いつもは気丈な父が、


「一人にしないでくれ、どっちか居ってくれ。」と弱々しい声で懇願したのだ。

この瞬間、死と直面している人の不安や恐怖が、どんなに辛い苦しいことなのかということが伝わってきた。そんな状態を毎日、一人で耐え忍んでいた伯父のことを思うと涙が溢れて止まらなかった。

すぐに僅かだが見舞の金とカードを送った。伯父が生きている内に、伯父の好きだった花をいっぱい買って病室を飾ってほしいという、せめてもの想いだった。


だが、私の見舞のカードを受け取った翌日に伯父は亡くなった。

伯父の死を母から知らされた時、家へ帰りたいと願いながらも痩せ細った身体に管をたくさん繋がれ、酸素吸入器をつけた伯父の姿を思い浮かべた。

 

伯父は自分らしく死ぬことができたのだろうか?父は?私は自分らしく死ぬことができるのだろうか?

自分が死に直面したときには思い残すことなく死にたいし、延命治療など問題外だ。

 

以下は、日本ホスピス・在宅ケア研究会のサイトから抜粋したもの。生きて
いる内に自分の死に方を選択すべく、延命治療に対する意思表示を示すためのリビング・ウィルについて記されている。いわゆる「尊厳死」を遂げるための確約だ。

 

<リビング・ウィル>

リビングウィルは、直訳すると「生きている間に効力を発する遺言」です。アメリカのカトナーが、1969年に終末期の延命医療を拒否する方法として、リビングウィルを提唱しました。その後、リビングウィルの意味は広がり、「病状が悪化して、自分では決断を下すことができなくなった場合の治療について、あらかじめ希望を述べておく文書、特に、治療を中止して死なせてほしいと医師に頼む文書」とオックスフォード英語辞典にあります。どのような医療を希望してもよいのですが、ほとんどの人は「延命を希望しない」と書きます。

 

 

回復の見込みがなく、すぐにでも命の灯が消え去ろうとしているときでも、現代の医療は、あなたを生かし続けることが可能です。人工呼吸器をつけて体内に酸素を送り込み、胃に穴をあける胃ろうを装着して栄養を摂取させます。ひとたびこれらの延命措置を始めたら、はずすことは容易ではありません。生命維持装置をはずせば死に至ることが明らかですから、医療者が躊躇するのです。

「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いらっしゃいます。「平穏死」「自然死」を望む方々が、自分の意思を元気なうちに記しておく。それがリビング・ウイル(LW)です。


日本尊厳死協会・事務局

〒113東京都文京区本郷2-29-1渡辺ビル202

TEL.03-3818-6563FAX.03-3818-6562


U.S.Living Will Registry
(アメリカではリビング・ウィルのフォームがこのサイトからダウンロードできる)

 

https://www.theuswillregistry.org/