☆ハーレム日記リバイバル☆ 第104-2号 辛口コラムシリーズ 第十弾 NYにおける子供の夜遊び | NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第104-2号 辛口コラムシリーズ 第十弾 NYにおける子供の夜遊び

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                  第百四号 06/09/2001

             Harlem日記
           
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〜☆〜☆〜☆〜辛口コラムシリーズ 第十弾〜☆〜☆〜☆〜

*****ニューヨークにおける子供の夜遊びについて*****

ニューヨークで、いつも驚かされることは、小学生くらいの子供たちが夜中まで遊んでいることである。ハーレムの公園<マーカス・ガーベイ・パーク>、いくら何でも夜の11時に公園でブランコに乗って遊んでいたりするのは、どうか?


と私は思う。

イーストビレッジの子供は、もっと最悪で午前1時、2時まで平気でウロウロしていた。酔っ払いがフラフラする周りでキャラキャラと黄色い声をあげて笑っている。親はドクロのタトゥーを入れた陽気なプエルトリカン兄さん。

まだまだ、親も現役で遊んでいたのだが。

かくいう私は子供の頃、不眠症だった。ニューヨークの子供たちが外でジャンケンしている宵の口10時くらいが当時は日本の子供の就寝時間だった。授業中に居眠りばかりしてたせいか、小学校三年生の頃は夜に眠れないことが多く辛くて泣いて母に訴えた。

「お薬のんでみる?」と睡眠薬を服用したこともある。

それでも夜中まで結局眠れない。そんな私を支えてくれたのがラジオだった。小学3年生の頃、初めて耳にしたタモリさんのオールナイト日本。

深夜放送に出会ってからの人生はバラ色。坪井ノリオ氏が「恋のイチャイチャ」などというHなことが書かれた手紙を読むに至っては、小学校6年生の私は耳年増になっていった。

一方、坪井ノリオ氏は当時「おはよう子供ショー」の司会も担当しており、夜中に聞いたHなパーソナリティーが朝には爽やかに「みんなぁー元気ぃ〜?」などという台詞をマジな顔で言ってるギャップは楽しかった。

中学に入ってからもタケシさんや、売れない頃の長淵剛さんがパーソナリティーのオールナイト日本を聞き、たいてい明け方までラジオにかじりついていた。

悲恋を歌う中島みゆきさんも夜中には別人のように明るいキャラで大好きなパーソナリティーの一人だった。

こうして高校生になった頃には、ラジオのみならず週刊文春や平凡パンチ、スポニチを読むオヤジのような変な方向へ向かっていた私。大好きな本は太宰治とプレイボーイはたまた本多勝一さんのジャーナリズムなどなどバラバラだった。

自分のことばかり語ってしまったが、幼少の頃の私なんかより更にニューヨークの子供たちというのは視覚的にも感覚的にも耳年増ならぬ精神年齢が高いといえる。

 

日本だと子供が遊んでるはずのない時間に外を闊歩してるのだ。少なからず男女のまぐわいなどは恋愛小説からでなく、目前にするだろう。

とは言っても夜の11時すぎ。まだまだガキの声が表の公園で、こだましている。しかも火曜日だ。もう12時になるぞぉー。昼間じゃないんだからガキの声はキャラキャラうざったい。

若いってことはいいことだガキたちよ。私なんて起きていれるだけ起きていることのできた時代は、既に通りすぎたんだ。若い頃のように明け方までクラブで踊り続けるなんて、超人的なことは今となっては不可能だ。

3晩続けてクラブに通って、ユンケルを飲んでまで大学と両立した頃が懐かしい。


確か睡眠時間2時間だけの日、1時間目の体育の授業はスケートだった。フラフラになりながらもスケート靴を履いて授業をクリアー。

 

はぁーやっぱり子供でも何でも遊べるうちに遊ぶべきなのである。結局この夜はガキの声を子守唄に眠った。