☆ハーレム日記リバイバル☆ 第95号 ルームメイト | NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第95号 ルームメイト

■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■ 

 

          第九十五号 04/13/2001
              Harlem日記
            
■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■■□■

*****ルームメイト*****

ニューヨークは周知のとおり家賃がとっても高い。まず家賃はハーレムでさえワンベッドルームで800ドルから1000ドルが相場。ミッドタウンやダウンタウンではワンルームが1000ドル以下では不可能。

1500ドルをゆうに越えるから、二人で家賃を分けても750ドルは払わなければならない。

住宅環境としては日本で最悪だと言われている東京以下。その上家賃は今でも、『欽ちゃんの全日本仮装大賞』テレビ番組の得点ボードがズンズン点滅しながら上がっていくようにズンズン上がりつづけている。

そのせいかルームメートを持つことが一般的だったりする。狭い日本では、どんなに狭くても一人暮らしが普通だから、見ず知らずの他人と同じ屋根の下に暮らすなんて想像を絶することだろう。

私は日本人のルームメートと3回同居した経験を持つ。1度目はハーレム日記にも何度も登場しているJちゃん。当時は私のことを『我がままなクソババア』と私が部屋を空けた時には、わら人形を柱に打ち付けた日もあったに違いないが、

彼のことは未だに目に入れても痛くないくらい実の弟のように愛しい。

次は、MちゃんとWちゃん。彼女たちとはブルックリンで女の合宿状態。『説
教部屋』もあって、酔っ払っては若手のWちゃんに説教をたれていた。可愛さあまって、彼女の父になった気分で変な虫がつかないように見張っていた。

前置きが長くなったが、この度ここに登場するのはハーレムで一人暮らしを決意する前に出会った。「苦手な女性」の物語である。

ブルックリンで暮らしていた頃、MちゃんとWちゃんが日本に帰ることにな
ったので、Kさんを紹介された。彼女はスタイルも良く色白な美人で、とにかくその美貌のせいからか、人に頼ることを当たり前のことだと思っているタイプだった。

トークもちょっぴりスローなトロ系の天然で、ナメクジのようにノロノロ動く様は、『博多の塩』をグウの音も出ないくらいにふりかけて、溶ける姿を楽しみたい気分にさせる要素を含んでいる。

引っ越して来た時、電話を自分専用に引きたいらしいが英語ができないからと、Mちゃんに電話会社に問合せをしてもらっていた。しかし、うまく通じなかったらしく、二人で私の会社に電話をかけてきた。

私もやはり親切な日本人、ここで「仕事が忙しいから。」などと断ることもできず、忙しい合間をぬって電話会社にKさんのフリをして契約を進めた。契約時には細かなサービスの説明やらなんやらを聞いたり、決めたりしなきゃあならんので30分は時間をとられる。

自宅に帰って、「Kさん、電話会社契約しといたよ。電話番号はこれね。来週の土曜日には工事しにくるらしいよ。」と話す。

 

「あのーぉーロングディスタンスはどこにしたんですか?」(当時は、ロングディスタンスだと別会社になってたの?だね。。。)

「あー適当に決めといたよ。」

 

「私ぃーXX会社の方が良かったんですけどぉー。」

てめぇー「ありがとうございます。」の礼を言う前に、クレームかい!

あたいはあんたの秘書やないんじゃーと叫びたいが、たこ焼きを口の中にくわえた瞬間、外側は冷えているのに中はアッチッチーで高温な上、パンツのゴムみたいにタフなタコが入っていて噛んでも噛んでも、のみこめない状態だった。

そんな彼女のお願い攻撃は、二人で同居が始まってからもエスカレート。

怒りに震えながら自分の部屋に引きこもり、本格的な引きこもりの状態になるのに1ヶ月を要さなかった。

「ひろえさぁーん、ここの火災報知機の電池が切れてるせいで変な音がするんですけどぉー、管理人に言ってもらえますかぁー?」と、私が仕事に行く直前でバタバタしてる時に言ってきた。

「そんなの自分で交換しろ。」って管理人に言われるに決まってると思ったが、とりあえず聞いてみようと思ったお人好しの私が馬鹿だった。

無愛想に「電池くらい自分で交換してください。」と管理人に言われ、

 

何で私が管理人と話してるの?よーく考えると言い出しっぺの彼女が説明すればよいことなのに、英語の問題をタテに使われている自分がそこに居た。

「愚か者」って書かれた白い紙を背中に貼られて知らずに歩いてる私。

その後は、意地をはってしばらく警報機の妙な音を我慢していたが、むしょうにイライラして結局、私が取り替えた。

更には、私が寝ている時に、Kさんは夜中の2時に外から電話をかけてきて第一声から、

「ひろえさぁーん。XXってクラブは何処ですかぁー?見つからないんですぅー。」
 

馬鹿やろー見つからんのなら、その辺で勝手に遊んでおれ。と寝起きでイライラして「知らん!」と言って切った。

もっともっとプライベートな悩みや、その他もろもろは掲載を控えておくが、とにかく私は精神的にも末期状態となり、エアーガンを所持していたら縄でくくりつけて彼女を撃ちまくってやるぜ〜くらい凶暴になっていた。

「ひろえさぁーん」の声を聞くごとに、もとい、彼女が帰ってきたとドアの音がする度に、全身の毛が逆立ち心臓がドクドクと暴れだす。

「私の名を呼ばないでくれぇー。」と、知らずに白いローソクに向かって訳のわからない念仏を唱えていた。

そうして、とうとう切れてしまった私は、不必要に会社に電話してきたKさんを火山がドッピュ−ンと噴火するかのごとく大声で罵倒し、ハーレムに移り住むこととなったのである。

だが、彼女と別れて住むことにならなければ「ハーレム日記」は存在し得なかったわけで、ある意味ハーレムに住むチャンスを、ライターとして存在し得る私を、創った女だったのかもしれない。Kさんに感謝だ!

人生で苦い経験も、後のチャンスに繋がる布石になっているものだ。
<弘恵・今週の格言より>

※今の時代はハーレムのStudioでも一月1800ドルはするだろうから、高くて住めない。。。

あと、ルームメイトは日本人同士が一番いいけど、合わない相手もいるってことだ。