☆ハーレム日記リバイバル☆ 第75-3号 ハーレム移住後いきなり電気が通ってないって? | NYで生きる!ベイリー弘恵の爆笑コラム

☆ハーレム日記リバイバル☆ 第75-3号 ハーレム移住後いきなり電気が通ってないって?

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                                         第七十五−三号 11/25/2000
                                            Harlem日記
            
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*****ハーレム移住後いきなり電気が通ってないって? Rちゃんの経験*****

 

※2000年のお話なので、2024年の今はハーレムも家賃が高騰し、1500ドル以上は出さないと住めないらしい。。。当時、私が住んでた頃は、600ドルとか700ドルとかでも1ベッドがあったんだけどなぁ〜。なので今はこんな不備なないはずです。しらんけど。

ソーホーにある友人宅のパーティーにRちゃんが、やってきた。初対面の彼女は、どこででも生きていけるドブネズミな私の友人とは対照的に、澄んだ赤い目の白ウサギな雰囲気。

寒い冬の夜に、長いフェークファーコートの下はタンクトップの2枚重ね、スリムな身体に豊満な胸がプユユンとセクシーだ。蛍光ピンクのサンダルに小さな足。

世間ずれしていない雰囲気の彼女を目にした瞬間、異星人に会ったようで私は何を会話すればよいのかわからなかった。

「動物占い持ってきたの。」Rちゃんは私たちに日本の雑誌のようなものを手渡す。

「私は長距離ランナーのチーター。」と、明るく言ってのけるRちゃん。
「長距離ランナーっていうより、足のおそいチーターって感じだね、Rちゃん。」いきなり毒舌な私。

「Rちゃんは毎日、何やってるの?」
「ベリーダンスのクラスに行って踊ってます。クラスの無い日は、家で踊ってます。」
「へーっ。」
「どこに住んでるの?」

「ハーレム」
「えーっ私もハーレムだよ。」

宴もタケナワになった頃、Rちゃんは自分の歌が入ったCDを「聴いてください皆さん。」とプレーヤーに入れた。彼女の友人がサンプリングしたというニューウェーブのようなBGMにRちゃんの亡霊のような声が入っている。

表現が適切ではないが、とりあえず音楽と彼女の声はイケていた。

「なんだか、Rちゃんの頭をカチ割って脳の構造を見てみたい気分になるよね。何を考えているのか予測がつかないもの。きっと私がオヤジだったら君のことが大好きになってる。水商売ならナンバー1だよ絶対。」

と誉めているのか、けなしているのか判断のできないコメントを私は続けた。

「ありがとうございます。」Rちゃんはポジティブに喜んでいる。

集まった私等がIT関連やビジネスの話題で盛り上がっている間、話に興味の無いRちゃんは、音楽のリズムに合わせてドラムを演奏するジェスチャーと共にコーラスを口ずさみ自分の世界に入っていった。

私は、そんな彼女の姿を見ながら、

「彼女のピュアーな性格は日本社会だと受け入れてもらえないかもしれない。きっとイジメにあっていたはずだ。」と勝手に解釈していた。

かくいう私も大学時代には、『どこへ行くのも一緒』な同じクラスの女友達に溶けこめず、さらにOL時代にはイジメにあった。

フニャフニャなRちゃんや、変わり者といわれる私でもニューヨークは温かく受け入れてくれる。

「甘い気持ちでニューヨークに行くことは不可能だ。」と説教をたれている日本の人々にRちゃんの姿を見せてあげたい気分だった。

帰りの地下鉄でRちゃんがハーレムに在住の、きっかけを話してくれた。

ハーレム在住の日本女性はブラックの彼氏と暮らしていることが多く、彼女も、てっきりそうなのかと思っていたら、今年の夏から一人ニューヨークにやって来てハーレムに住んでいるらしく、

「日系のブローカーに紹介してもらったんです。」と、サラリと言った。

「紹介してくれた日本人の女性は適当で、入居の日を確認したにも関らず、アパートに住み始めたら電気が通ってなくて、隣の家から1つだけ電気のコードを引っ張ってきてもらって、電気が通るまで1ベッドのアパートに1つの電気で暮らしていたんです。

ブローカーに『なんとかしてください。電気も通ってません。』って文句を言ったけど、数日たっても、何もやってくれない。しょうがないから、125丁目のコン・エディソン(電気会社)に行って『家に電気が通ってないんですけど。』って言ったら、

数日後にようやく電気が通ったの。

入ってから2週間も電気なしで生活したんですよ。

ブローカーには紹介と同時に契約通り半分フィー(礼金)を払って、半分は滞納してたの『電気もついてない部屋を紹介するなんて、いい加減だから払わない。』って言ったら、担当の女の人が、そこの会社の社長まで家に連れてきて『払え』って。」

「それで払ったの?」
「しょうがないもの。」
「そんな奴等、スー(訴える)しちゃえば、よかったのに!」私は怒りまくった。

日本人ブローカーといっても不動産を紹介してくれる人には金儲けのためだけに働く者も多く、良心に欠けている。私が以前、騒音やネズミや泥棒に悩まされたアパートに、『あのアパートは最悪だ。』と打ち明けたにも関らず、

ちゃっかり次の日本女性を入れたブローカーもいる(このブローカーは、日本人じゃなかったです。。。)。

本日の教訓:日本人であってもニューヨークでは人を信用してはいけない。

一人、電気のない暮らしと闘ったRちゃんは見た目以上にタフだった。ドブネズミまで、いかずとも野ネズミくらいの根性がある。

私は、すっかりRちゃんのことを気に入ってしまった。近いうちにRちゃんのベリーダンスをレポートしてみたい。

※2025年の今となっては、Rちゃんが誰だったのかも記憶できておりません。。。

2000年にHarlem時代に住んでたアパートの前をNYマラソンの人たちが走ったので撮影したもの。