29@まとめ.STAP細胞を巡る理研の闇についての都市伝説「幻の日本人ノーベル賞受賞者・●鈴 | Paul Sakamotoのブログ

Paul Sakamotoのブログ

聖書の預言
イエス・キリスト
陰謀
etc.
エロい
❤(^_^)v
宜しくお願い致しますね!





29@まとめ.STAP細胞を巡る理研の闇についての都市伝説
「幻の日本人ノーベル賞受賞者・
●鈴木梅太郎とは?

オリラジ中田
中田敦彦:2014年のノーベル賞の話題といえば、大きなニュースになったものがありましたね。青色LED。この開発によって、日本人3名が同時にノーベル物理学賞を受賞するという、非常に日本人として誇らしいニュースがあったと思うんですけど。

そんな日本人にとって、初めてのノーベル賞は誰だったのかというと、有名な方です。湯川秀樹さんですね。湯川秀樹博士よりも、はるか前の明治末期に、ノーベル賞を受賞したはずだった人物がいたのはご存知でしょうか?

その人物の名前が、鈴木梅太郎という人物です。この鈴木梅太郎は、今で言う東京大学、当時の東京帝国大学の農学部の教授なんですね。この人物が何をしたのかと言いますと、とある病気の治療法を発見したんです。その病気というのが、脚気カッケです。

脚気は、今でこそ治療法は確立してるんですが、当時は全く原因不明の難病だったんです。当時は、あの結核とともに、2大国民病として恐れられていた時代があったんです。症状を言いますと、両手足のむくみから始まって、段々と麻痺していき、最終的には心臓を止めて死に至らしめるという。非常に恐ろしい病気で。

あの日露戦争では、戦死した兵士の数よりも、脚気に掛かって病死した兵士の数の方が多かったといいます。それくらい猛威をふるっていたんです。

ただ、それだけ多く発症したものですから、一時期、伝染病ではないかと。そんな中で、「これは伝染病ではない」と主張したのが、この鈴木梅太郎なんです。

「伝染病ではなく、栄養問題である!」と。そして、その治療に必要な成分を突き止めました。それが、ビタミンB1です。栄養問題をビタミンで解決したというと、なんだか日常的な話題だと思うじゃないですか?! ただ、そういう話ではないんです。

 このビタミンB1を鈴木梅太郎が発見した瞬間というのが、人類がビタミンに出会った瞬間なんです。今では皆さんが当たり前に口にするビタミン。錠剤であったり、タブレットだったり、皆さん当たり前に知っているビタミンという栄養素は、鈴木梅太郎が発見するまでは人類は知らなかったんです。

そしてその発見したビタミンを元に治療薬を作り、多くの人命を救いました。もうお分かりいただきましたか?この鈴木梅太郎は、人類を救った救世主なんです! だとしたら、ミステリーですね。我々はどうして、その救世主の名前を知らないんですか?それほどの実績を残したら、ノーベル賞、間違いないんですよ。

だとしたらその天才は、ノーベル賞を受賞していないんでしょうか?その裏を探ると、怪しげな背景が浮かび上がってくるんです。もちろん、梅太郎は世界に向けて、その発見を発表しました。

「これは世界的な発見である!」と日本語で論文をしたためた。それをドイツ語に翻訳してもらって、海外に発表した。ところが、その翻訳してもらった部分の、大切な部分が抜け落ち、ところどころ、誤訳が発生してしまったため、上手く伝わらずに、認められなかった。

世界に発表する論文で、そんなケアレスミスないだろうと思うじゃないですか。でも、ところがそこには、背景に大きな組織対立が絡んでるんです。その組織対立というのが、ドイツ式医学とイギリス式医学なんです。当時の主流はドイツ式です。

今、皆さんが耳にする医学用語、多くはドイツ語です。カルテとか、アレルギーとか。英語じゃないんです。全部ドイツ語。今の日本の医学は、ドイツが作った。ところが、そのドイツ式医学こそが、脚気を伝染病だと主張していたんです。

梅太郎は、イギリス式の流れを汲んだ。だとしたら、梅太郎が認められ、受賞して赤っ恥をかくのは誰だ?ドイツ式医学の権威達です。だとしたら、意図的に誤訳を指示していた可能性は否定できませんね。しかも、世界に発表した言語はドイツ語なんです。

そうこうしているうちに、梅太郎は受賞はおろか、評価される事なくこの世を去りました。そして、あろうことか、海外の化学者が後追いでビタミンを研究し、後に、ノーベル賞を受賞してしまうんです。

梅太郎がどれほど悔しかったか。その怨念が、どれほどのものか、計り知れません。そんな悲劇の化学者梅太郎は、ある有名な組織の創設者でもあるんです。その組織というのが、◆理化学研究所です。

そう、昨今有名な、あの◆理研です。その理研で、現代、何が起きましたか?論文トラブルに見舞われて、栄光を失った、あの梅太郎の怨念渦巻く理研で、何が起きたか。科学の進歩の裏には、いつの世も人の闇が広がっているのかも知れません。

信じるか信じないかは、あなた次第です。

http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-6616.html
から引用

"オリラジ中田敦彦 ノーベル賞の闇の都市伝説" を YouTube で見る

https://youtu.be/BsBbIwS46SU

「STAP細胞ビジネス」がついに欧米で始まった! 小保方潰しに没頭した日本は巨大マネーもノーベル賞も逃す羽目に?

2016/06/03TOCANA
STAP細胞論文が撤回され、小保方晴子さんが芸能スキャンダルジャンルでニュースになるのが最近の日本。一方の地球の裏側ではSTAP細胞ビジネスが日本を外したうえで水面下で着々と行われているようだ。まだ断片的な情報しか伝わってこないが、少なくとも点と点がひとつの線につながる不可思議な情報がふたつある。
●ハーバード大学の付属病院が特許出願
のひとつが、アメリカのハーバード大学の付属病院が、STAP細胞に関する特許出願を世界各地で継続しているという情報だ。論文発表時点でハーバードは米国、欧州、カナダ、オーストラリア、そして日本でSTAP細胞の特許を出願したのだが、不思議なことに理化学研究所が論文を取り下げた後も、なぜかハーバードは特許の実態審査やその範囲の補強に10万ドル以上の費用をかけ続けているというのだ。
出願した特許を取り下げずに、逆に審査要求に巨額のマネーを投入しているというのは、それが将来、再生医療分野でカネになるという何らかの情報をつかんでいるからと考えて間違いない。実際、ハーバードの行動を見ると、そのフシが伺える。
たとえば小保方晴子氏の実験プロトコルではオレンジ果汁程度の酸度の弱い酸に細胞を浸すことで細胞の初期化が行われるという手順が世界中で再試され「それはありえ無い」という結論が出ている。しかし、ハーバードが特許を出願している範囲は実はそれよりも広い。
ハーバードではより広い範囲を特許の対象として「さまざまな方法で細胞にストレスを与えることで起きる細胞の初期化全体」を特許の範囲としているのだ。

●ハイデルベルク大学で「修正STAP」が確認される

今年3月にもうひとつの情報が飛び込んできた。ドイツのハイデルベルク大学の研究グループが、小保方氏と異なる条件下で実験を行ったところ、STAP細胞ができたというのだ。論文タイトルは『Modified STAP conditions facilitate bivalent fate decision between pluripotency and apoptosis in Jurkat T-lymphocytes』である。
世界中の研究室が小保方方式でSTAP細胞ができるかどうかを検証する中で、ハイデルベルク大学では、用いる細胞の種類と酸の濃度を変えて、さまざまな条件下で実験を行った。
するとJurkatT細胞という細胞株を本来なら死んでしまうような(小保方論文よりも)高い酸性濃度の液に浸した場合に、有意な数の細胞株が酸処理ストレスを生き延びて万能細胞に変化して生き延びたというのだ。
ハイデルベルク大学ではこの現象を修正STAP条件と名付けた。つまり厳密に小保方氏の方法ではない修正した条件下ではSTAP現象が確認されたのである。
ハイデルベルク大学によれば、このような強い酸性のストレスをかけた条件下では多くの細胞が死んでしまう一方で、一部の細胞が多能性を獲得して生き延びるという。つまり生死の危機的な条件下で一部の細胞が万能細胞となる変化を遂げたわけだ。
同大学では、この現象を「興味深い学問研究のテーマであり、何が細胞の死と多様化の運命を分けているのかを今後研究していきたい」としている。
さて、話をハーバードの特許に戻すと、このような研究結果が後追いで出てくることを想定して、ハーバードは「それも特許としてはうちの申請範囲ですよ」という主張を準備しているものと思われる。
実際、ハーバードは理研や早稲田大学が行った小保方氏の不正調査に対して、共同研究部分のノートやデータを提出していない。秘密裏に来るべきSTAP細胞ビジネスの準備に用いているからだろう。
◆特許が取得できればそれから20年間、STAP細胞を用いた再生医療の莫大な収入はハーバードが一人占めする。一方でSTAP現象を起こす正しいプロトコルを発見した者にはノーベル賞が与えられるだろう。あくまで最初に提唱した小保方氏ではなく、最初に正しい方法を発見した者に対してだ。こうして利益と栄誉はアメリカと欧州の間で、山分けになる結果になりそうだ。
(文=王山覚/グローバルコンサルティングファームに勤務するビジネスウォッチャー)

https://gunosy.com/articles/RoXC9
から引用

◆小保方晴子氏が、手記『あの日』で主張した3つのポイント【早わかり】

「こうして私の研究者の道は幕を閉じた」――。

理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏の手記『あの日』(講談社)が1月28日に出版された。2014年1月28日に行われたSTAP細胞の会見から、ちょうど2年後の出版となった。

同書は、小保方氏が再生医療研究を志すきっかけを綴った第一章「研究者への夢」、論文発表後に研究不正を指摘され、対応に苦慮する様子と当時の心中を描いた第八章「ハシゴは外された」など、全十五章・253ページの内容となっている。

国内のみならず、国際的にも関心を集めたSTAP細胞論文問題。「責任の所在」「不正の経緯」などについて関する小保方氏の主張を、本書の引用をもとに、3つのポイントにまとめた。


「もう僕のことを必要としてくれなくなって…」

若山研では私以外の全員が、「胚操作」と呼ばれる顕微鏡下でマウスの卵を使った実験を行える技術を持っており、顕微授精を行ったり、キメラマウスを作製したり、クローンマウスを作製したりする実験を行うことができた。若山先生のところに来た研究員は皆、胚操作を若山先生から直接指導を受け技術を習得していた。しかし、私だけは胚操作を教えてもらうことはできなかった。 (中略) キメラマウスの作製に成功した頃、「私にもキメラマウス作製の胚操作を教えて下さい」と若山先生に申し出ると、「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」といたずらっぽくおっしゃった。 

第四章「アニマル カルス」92ページ
※●STAP細胞研究の主導権は、途中から若山照彦・山梨大教授が握っていた、と小保方氏は主張する。「研究に対する主体性は若山先生へと移り、研究の方向性は私の思いとはどんどんかけ離れていってしまった」(102ページ)との記述があるように、自身の当初の着想から研究自体が乖離(かいり ,そむきはなれる事,離反)し、実作業も「自分では再現できない」(104ページ)ものだったという。

このような経緯から、STAP幹細胞の解析結果がおかしいと指摘された点については、「マウスの系統等の管理をすべて若山先生に任せてしまっていたために、私には科学的に反論する材料がなかった」(195ページ)としている。

図表加工が【改竄】(かいざん(悪用する目的で)文面を故意に書き換える事)を疑われるとは「思いもしなかった」

私は学生時代に、バンドの濃さで示される量ではなく、バンドの有無を論文の図表で示す場合には、曖昧ではなく明確に示すべきだと指導を受けたことがあり、あるか、ないか、を見やすく加工することが改竄を疑われる行為だとは思いもしなかった。 

第八章「ハシゴは外された」147ページ
論文内での画像の取り違えや、データの不足、実験ノートの記述内容など、論文には当時から指摘が相次いだ。小保方氏は研究におけるこれらの不備について、「未熟で猛省している」としたものの、故意ではなかったという。

また、実験の主導権は若山教授が握り、「STAP」という現象や細胞名の命名は笹井芳樹・理研発生・再生科学総合研究センター(CDB)副センター長(故人・肩書きは当時)が行ったとするなど、自身の研究に関する責任は限定されていたと主張している。

一方で、「※●私が発見した未知の現象は間違いがないものであったし、若山研で私が担当していた実験部分の『STAP現象』の再現性は確認されていた」(238ページ)とも主張しており、STAP現象がすべて否定されたことへの不満を漏らしている。なお、※●理研の外部における検証実験でSTAP現象が確認されなかったことに対しては、書籍内での言及はなかった。

メディア、理研、早稲田大学への批判

記者から取材依頼の手紙が届いた。その中には「なぜ私たちが毎週のようにSTAP騒動を取り上げてきたか。理由ははっきりしており、読者の評判がよかったから。嫌らしい言い方をすれば、STAPを書けば部数が伸びました。アンケートも毎週取っていますが票数はずば抜けていい数字」と書かれ、「私は小保方さんをモンスターのような存在として書いてきました」とはっきり書かれていた。 

第十章「メディアスクラム」186ページ
疑惑をめぐる報道陣の追及を受け、疲弊する様子は、多くのページを割いて書かれていた。第十章「メディアスクラム」内では、記者の実名も挙げてその報道姿勢を批判した。たび重なる報道と社会からの反応に疲れ、「魂が弱り薄らいでいくようだった」(226ページ)と当時の状態を描写している。

また、批判を受けていたのと同時期、指導を受けていた笹井芳樹氏が自殺したことについては「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」(220ページ)と当時の心情を描いた。

所属していた理研や、博士号を剥奪した早稲田大学への不満も根強い。理研内の調査委員会に提出した書類には「助言という名の検閲が入り、公表されると理研にとって都合が悪い情報は、すべて削除された」(233ページ)という。また、自身の博士号剥奪に関しては、「※●私には大学の教育方針よりも社会風潮を重視した判定を下したとしか思えなかった」(252ページ)と感想を記している。

小保方氏自身が参加した検証実験についても、報道や※●所属する研究機関、科学者コミュニティなどの反応にショックを受け「※●ただただ朦朧とした意識の中で、毎日同じ作業の繰り返ししかできなかった」(225ページ)として、正確な実験結果を出せる状態ではなかったと主張した。

STAP騒動以降、小保方氏が寄せられた批判にはじめて体系的な反論を試みた本書。文中では、騒動を受け論文撤回にいたるまでに交わされた他執筆者とのメールや、報道機関の記者からのメールもほぼ原文のまま記されている。

から引用