最初の、平安時代と思われる過去世は、Kさんが見られた夢かもしれないと思わせる要素が、様々ありました。
以前にも、依頼者様が見られた夢、について鑑定させていただいたことがあるのですが、その際も、ビジョンの時代背景や家族構成がほぼ一致していました。
--詳しくは『太陽の王国』へ--
それでも、今回の鑑定では、ところどころ相違がありました。
お付きの男の子と女の子 ⇒弟の男の子のみ
命を狙う男の人 ⇒青年僧?
牛車でかぶせられたたくさんの布 ⇒逃避行中の船の中で被せられた
松明や武器を持った村人 ⇒船の乗組員?や到着した建物から出てきた人々が持っていた。
多少相違はあるものの、ここからは、視えた物語の背景を検証をしていきたいと思います。
コダイ自身、歴史に疎いことから、ビジョンそのものが理解できない場合が多いので、検証することで、物語の不明な部分を少しでも解明していくことができたらと思います。
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写経について
のビジョンが視えた時点では、青年僧の存在については視えていなくて、楽しそうに筆を走らせる少女は、まだ十代ということで、文字を覚えているのかな、と思っていた。
後に、青年僧が家庭教師のような役割として登場するようになり、それをヒントに、いったい何を書いているのか(何を書いているのかまではわからないでいました)調べていくと、『写経』というキーワードにたどり着いた。
写経はもともと、学僧が経典を学んだり、複製して全国に広めていくための行為でした。
日本書紀の673(天武2)年の記録には、「書生をあつめて、始めて一切経を川原寺(飛鳥の三大寺のひとつ)に写す」との記述があり、これが日本で最初の写経と考えられています。
奈良時代、聖武天皇のころには専門の「写経司(しゃきょうし)」がいて、書き写された経典が全国の国分寺などに配られました。
平安時代ごろから、写経することによって「功徳(くどく)が得られる」と考えられるようになり、先祖供養、祈願成就、個人の仏道修行などを目的として広く行われるようになったようです。
※参考 平安時代の女性の写経と結縁経
平安時代の女性の自身のための自筆写経は、未出家での書写も確認できた。
書写した経は「法華経」が多い。
まだ、少女の慧子にとっては、教師である青年僧から習う初めてのお経だったのでしょうか?
