コダイの希望的仮説は、シバ国が『鉱物資源に恵まれた』
ヌビア地方
にあったとすること。
コダイが視たシバの女王の両親について、『(19)国の威容』で少し書かせていただいたが、母についての詳しい記述が無かったので改めて紹介したい。
母は、肌が白く、瞳の大きい丸顔で、まるで現代のアイドルのような可愛らしい容貌。
この母と、褐色の父の間に生まれたシバの女王は、褐色の肌で、何故かアジア系の顔立ち--
ビジョンを視ながら、不思議〜な感じがした。
全員容貌がバラバラ・・・
いずれにしても、彼女が混血のルーツを持つことに違いはないと思う。
シバ国の位置を様々調べるにつれ、エジプトを支配したヌビア朝の歴史から、その地はヌビア地方(現在のスーダンからエチオピア近辺)にあったクシュ文明に大いに関連があると推察するようになった。
が、決め手となる資料が見つけられないまま、日々を過ごしていたところ、依頼者であるTさんが、驚くべき情報をくださった--それを読めば、シバの女王が、本当にヌビアの女王だったという仮説が、正しいかもしれないという現実味を帯びた話になってくるのだ・・
クシュ王国 〜Wikipedia
紀元前10世紀ごろから、現在のスーダンのナパタ(ゲベル・バルカル)周辺でエジプトの影響を受けたクシュ王国が繁栄していた。
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Tさんから紹介いただいた論文
論文がとても長いので、リンクを貼らせていただきますが、取り敢えず、関連の深い内容を抜粋して以下に紹介させていただきます。
大城道則 〜古代エジプト第25王朝におけるアムン神崇拝の受容とピラミッド建造の復活 抜粋
ナイル河を共有していたエジプトとヌビアが最も密接な接点を持ったのは、古代エジプト史上において、第 25 王朝(前 800 年~前 657 年)と呼ばれている時期であった。当時ナイル河第 4 急湍手前の都市ナパタを拠点として繁栄していたクシュ王国(=ヌビア王国)1の王ピイがナイル河を下り、複数の地方領主たちによって小国に分裂していたエジプトを再統一し、自ら古代エジプト王=ファラオを名乗ったのである。
古代世界におけるヌビアの北と南の国境は、ほぼ現在のエジプトのアスワン(第 1 急湍付近)とスーダンのハルトゥーム近辺 に相当する。その地域は古代エジプト人たちによって、「ヌビア人の土地」を意味する「タァ・ネヘシ(Tɜ-Nhsy)」、あるいは「弓の国」という意味の「タァ・セティ(Tɜ-Sti)」と呼ばれていた。さらに古代エジプト人たちは、ヌビアを北の下ヌビア(ワワト)と南の上ヌビア(クシュ)というふたつの部分に大きく分けた。そのふたつの間の境界線は、おおよそ現在のエジプトとスーダン国境と一致する。ただしエジプト側寄りの下ヌビアは、その文化的中核部が 1971 年に完成したアスワン・ハイダムによって水没してしまった。
金をはじめとした富に満ち、美しくて長寿の人々が暮らす国として、古代ギリシア世界においてヌビアは「憧れの国」、「夢の国」であったのである。実際に古代ギリシアのテオプラストスは、外出の際エチオピア人を供とすることが当時の金持ちの流行であったと紹介している。では古代エジプト人たちは、ヌビア人をどのように捉えていたのだろうか。 古代エジプトの壁画などに描かれたヌビア人は、エジプト人とまったく異なった外見をしている。ヌビア人とエジプト人双方とも土着のアフリカ人であるが、古代エジプト人は、自身と彼らをその美術の中で明確に区別して表現したのである。エジプトの壁画職人たちは、エジプト人男性の肌の色には赤茶色絵の具を、エジプト人女性には薄い黄色を、そして男女関係なくすべてのヌビア人に対してはこげ茶色あるいは黒色を使った。
👆ちなみに向かって左から右へリビア人、ヌビア人、シリア人、シリア人の遊牧民ベドウィン、ヒッタイト人となる。このなかでもヌビア人は黒い肌を持ち、丈が長くて数珠文様のあるヌビア特有の帯、そしてエジプト人の髪型とは異なる短くてちじれた髪型で表現された。
👆例えばトゥトアンクアムン(ツタンカーメン)治世のクシュ総督フイの墓に描かれたヌビアの王子の壁画からは、明らかに肌の色が異なるという特徴を持つヌビア人たちが描かれていることがわかる 。
ピイにとってアムン神は父であり、絶対的賛美の対象であったのである。またアムン神信仰は、ヌビアの王位継承にも大きな影響力を持っていたことが知られている。ヌビアの王たちが王位を受け継ぐのは、王家の女性たちを通してがほとんどであった。そのためすべての王と女王たちは、通常は習慣として王位を女兄弟の子供へと譲った。つまり王権を得るには、王の姉妹が親でなければならなかったのである。このことから他の古代文明と比較すると、
ヌビアのクシュ文化のなかにおいて、女性たちが非常に高い地位を持っていたことがわかる。
イエスと同時代の人物であったアマニトレ女王のピラミッドもまたメロエの王たちや女王たちと並んで巨大な王家の共同墓地に位置している。ヌビアの女王たちは、その権力を象徴するかのようにレリーフ等に通常大柄で体格の良い力強い女性たちとして表された。彼女らは宝飾品で覆われ、凝った紋様と留め金で飾られたローブを着用している。
宝飾品は、富と権力と豊かさという彼らの生活の象徴であった。
ヌビア人特有ともいえる文化的な差異は少なからず存在するが、ヌビアの地においてアムン神崇拝が行なわれた事実に揺らぎはない。彼女らの父親もまた王と同様にエジプトの神アムンであると信じられていた。
女性たちは、自身も支配者たちになることができ、例えばアマニシャビドやシャナクドアケトなど実際数多くの女王たちがクシュ王国を支配したのである。
その他の重要な宗教的・政治的な役職も同様に母系を通して引き継がれた。その結果、「王の母」と「王の姉妹」は、社会の中において著しく卓越した地位を持った。実際、ヌビア人たちが第 25 王朝としてエジプトを支配したとき、彼らはテーベ地域を
王家の王妃・王女の支配下に置いたのである。彼女らには「アムンの神妻」というエジプトで高位の女性たちが用いた特別な称号が与えられた。これは、各々から彼女らの後継者へと受け継がれた強力な宗教的・行政的地位であった。このような女性の重要性のため、古典期の叙述家たちのなかには、メロエは女性たちによってのみ支配されていたと誤って解釈するものもいたほどである。
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初めてビジョンを視た時は、資料など無いだろうと想像したが、まさかエジプトがらみ?で資料に出会うとは・・思いもよらない事でした。
探索して下さったTさんには、感謝の念しかありません‥