フェデラーの優勝で幕を閉じた全豪オープン。
そのフェデラーとアツい闘いをして敗れた錦織選手。
そんな矢先、錦織選手についてというより、錦織選手の日本での報道の仕方
について述べられた記事が、MSNニュースにNumber Web から
引用されていた。
私もかつては錦織ファンであり、今でこそそれほどアツくはないものの、
付かづ離れず?みたいな感じで応援はしているつもりだが、何か冷めている。
Number Webの記事は、その理由の一端を明らかにしてくれた気がする。
↓一部引用
錦織圭の『格上』『格下』って誰だ。テニスは、
ランキング=格ではない。
相撲の世界には「格」がある。例えば、新進気鋭の若手力士が横綱と初対戦する
ときに、多くのファンは、若手が横綱を倒す夢を見るが、その夢はたいてい叶わない。
そういうとき勝った横綱は「まだ顔じゃないよ」と言う。
「顔」イコール「格」であり、「格」という言葉はやすやすと使ってはいけない。
表現を変えるならば、「格」イコール「信用」ということだ。格下は格上の人の強さを
心密かに信じている。だから本当に「格」が違う場合は、まず間違いは起こらない。
相撲に限らずスポーツの世界は「格」がもの言う世界だと思う。
ところが、この「格」という言葉を形容詞のように安易に使っているメディアが多い。
テニス報道が特にひどい気がする。テニスの記事を丹念に拾っている方なら
「またか!」とうんざりしているのではないだろうか?
錦織圭の活躍によって、新聞スポーツ面でのテニス記事のスペースが大きくなった
ことは本当に喜ばしいことだが、その内容が残念でならない。錦織を大きく見せよう
とする傾向が過ぎる。全豪でも錦織には「世界5位の」という形容詞が必ずつく。
「ランキング」=「格」の扱いなのだ。
ジョコヴィッチ、マレー、フェデラー ナダルは特別。
・・・・・続きはMSNニュースで