アレックスくん改め・・  | 前世の記憶 ~Past Life Memories~

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男子テニスに関する記事の中で、または選手間で、アレックスくんのことを
“Sascha” (サーシャ)と呼んでいることに気付いていたが、アレクサンダー
という名まえなのに何故?と思っていた。
すると、今日のミーシャVSフェデラー戦で、WOWOWのアナウンサーが『通称』
だと言っていたのを聞いて、重ねてATPのサイトでも調べてみたら、『ニックネーム』
と書いてある。

なのでちょっと調べてみた。

☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜

ATPHPより
両親ともがロシア出身のプロテニス選手。
一家は1991年にドイツに移住。
1987年生まれのミーシャは、ロシアで誕生、1997年生まれの
アレックスくんは、ドイツのハンブルクで生まれている。

父の名が
Alexander Zverev Sr.
アレックスくんが、Alexander Jr.
正確には(Wikipedia英語版によると)
Alexander"Sascha"Zverev Jr.
アレクサンドル・アレクサンドロヴィチ・"サーシャ"・ズべレフ
(ロシア語)


ロシア語では、『アレクサンドル』(アレクサンドロヴィチは息子の父称)の愛称形が
サーシャ
になるらしい。
・・・なんかややこしい・・・

なので、本日より、アレックスくん改め サーシャ と呼ばせていただこうと
思いま~す(* ̄Oノ ̄*)

☆.。.†:*・゜☆.。†.:*・゜

期待していたミーシャVSフェデラーの試合、思っていた以上に残念な闘いでした。
フェデラーは、錦織戦と違い汗もほとんどかかない、楽~な苦しまないストレートの
3セット。
ミーシャが、フェデラーにウイナーを獲られるシーンは、ビデオ(古い?)の録画を見る
ようだった。わかっているのに同じテでやられている?
マレー戦のようなミーシャを見られたのは、ほんのわずか。
でも、そんなにボロクソ(言葉悪くてすみません)に負けていながら、最後までがんばって
くれました(°∀°)b。
そして、昨日にましてサーシャのどアップが何度も何度もカメラに捉えられていたが、
フェデラーのチャレンジ(ミーシャのショットがアウトだと主張)が失敗した時だけ、気持ち
よさそうな笑顔を見せていた。

試合が終了した後は
兄を誇りに思う
と言わんばかりに立ち上がって胸を張り、惜しみない拍手を送っていた。
(マレー戦では、試合が終了した時点で客席から姿を消していた)

それにしても、フェデラーって本当に強い!!!!
自分にとっては何か『食わず嫌い』的なところがあり、あまり彼の試合をじっくり
見たことがなかった。
今回初めて、錦織戦からツベレフ戦まで見て、その強さに唖然。

錦織選手が死ぬほど翻弄され走らされ、脚がガタガタになってもフルセットを
闘ったことに、今さらながらその根性と実力に尊敬の念を抑え
きれません
--。

準決勝、フェデラーはスタンとのスイス対決、もう一方のドローからは誰が
勝ち残るか判りませんが、ここまで来れるだけでも幸せと思う選手達に、
思う存分力を発揮してほしい。
そして、錦織選手には最大限のエールを贈り、次回、もしくは近いうちに
きっと素晴らしい栄光が待っていると心より期待します!
 
マレーVSズべレフ ハイライト(サーシャもちょこちょこ映ってます)

サーシャ・ズベレフ
僕はテニスラケットを手に持って生まれてきたと思うぐらい、テニスが大好きなんだ。
僕の両親は一度たりとも僕にテニスをするよう強要したことなんかない。
逆に、僕から両親にテニスがしたいと言ったんだ。『テニスがしたい、したい』と言って
ばかりで、逆に両親を困らせたほど。
テニスは僕の『ファースト・ラブ』さ、今までもそしてこれからも--

『サーシャ』はロシア語で、アレクサンダーのショートバージョン。
幼い時から、家族からも友達からもそう呼ばれていた。
ロシア語は、僕が最初に学んだ言語だったし、ロシア人家族の中で育った。
でも今では、ドイツ人らしくなってきているし、そう感じる。