幕末を駆けた青年(19) 検証・廻船と京都町奉行 | 前世の記憶 ~Past Life Memories~

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続いて、選ばれた剣士達が『船』で上方まで向かった という件。
千葉県には、江戸時代以前から港が幾つかあり、江戸を中継して上方へ
向かう 『廻船』 の存在もあった。

歌川広重(初代・三代)や葛飾北斎などの浮世絵を通じて、当時の海辺や
房州=安房国(あわのくに)=千葉県南部の漁業の様子を知る事ができる。








海上の交通手段があったことから、この『廻船』等を利用して、選ばれた
剣士たちは京都へ向かったのではないだろうか・・?

そして、京都で待っていた組織--

聞こえていた言葉は


京都町奉行

組織のトップが 京都町奉行 である、という情報だった。


京都町奉行
(きょうとまちぶぎょう)とは
江戸幕府が京都に設置した遠国奉行の1つ。老中支配で
あるが、任地の関係で実際には京都所司代の指揮下で
職務を行った。
奉行所の業務内容には、行政、司法、立法、警察、消防、
物価対策など、市政に関する幅広い業務がある。

また、京都守護職についての記述からも、幕末京都の奉行等の役目に
ついて書かれている。


京都守護職(きょうとしゅごしょく)は、幕末の文久2年(1862年)
に政事総裁職等とともに設けられた江戸幕府の役職である。
当時幕府の権威低下に伴い、京都には諸国から尊皇攘夷派
の過激志士らが集い、治安の悪化が懸念されていた。元来、
江戸幕府においては京都所司代・京都町奉行が京都の治安
維持の任についていたが、過激派による天誅(要人暗殺)や
商家への押し込み(強盗)などの騒乱が横行し、所司代・奉行
所のみでは防ぎきれないと判断した幕府が、京都市中の治安
維持及び御所 ・二条城の警備などを担う役割として設置した
ものである。
京都守護職は京都所司代 ・京都町奉行・京都見廻役を傘下に
置き、見廻役配下で幕臣により結成された京都見廻役も支配下
となった。

しかしながら所司代・町奉行・会津藩士のみでは手が回りきら
なかったため、守護職御預かり(非正規部隊)として新撰組を
その支配下に置き、治安の維持に当たらせた。



この 幕臣により結成された京都見廻役 というのが、寿三郎達を
援護
した部隊で、寿三郎等は新撰組のような 非正規部隊 のひとつだ
ったのでは
ないかと考える・・