前回載せた2つの画像は、どちらも古代エジプトの暦である。
シリウスが昇る日を年始とした暦 行事と日付(コムオンボ神殿)
丸いツールを探す過程で、最初に辿り着いたのが、シリウス星に関わるエジプト暦
だった。が、視えたものとは時代も違うし--左上の画像は再現なので、実際の形
はわからないものの、右上のものにしても、視えたモノとは全く違ったので、早々に
対象から外した。
けれど、Fさんの夢に出てきたものは、正しくこれではないかと思う。
--レイラの時代とは違う時代のエジプトに生きていた前世があって、それをご自身
の夢で見られたのではないだろうか?
そう思わざるをえないほど、石盤の使用法は驚くほど詳細で正確だ。
古代エジプト
~Wikipedia
ナイル川は毎年氾濫を起こし、肥えた土を下流に広げたことがエジプトの繁栄のもとだ
といわれる。ナイル川の氾濫を正確に予測する必要から天文観測が行われ、太陽暦が
作られた。太陽とシリウス星が同時に昇る頃、ナイル川は氾濫したという。また、氾濫が
収まった後に農地を元通り配分するため、測量術、幾何学、天文学が発達した。
古代エジプト暦(ナイル川の氾濫と季節の予測)
太陽暦は、古代エジプト(紀元前2900年頃)で生まれました。正確には太陽ではなく
シリウスという恒星を観察したようですが。この古代エジプト暦は太陽の1年365日を30日
一カ月として12ヵ月(太陰太陽暦の一カ月が29日か30日で成り立っていたので)、余った
5日を13月とした変則13ヵ月の太陽暦でした。太陽暦には基本的には一カ月の概念があり
ませんから一カ月を30日としたのは当然月の満ち欠けから生まれた概念をそのまま太陽暦
に応用したのです。
この暦はかなり正確に太陽を観察していたようで、すでに一太陽年は365.25日と認識してい
て、4年に一度閏日を置き、その年の13月目は6日としていました。
また、
『アレクサンドリアという地に建てられた石碑を探す』ために旅をしていて、
『石碑には4つの碑文が古い言葉で記されているが、もし解読できれば、
世界の叡智を知ることができる』と、夢で出会った考古学者が言っていました。
という夢は、アレクサンドリアという都市の神髄を暗示させ、プトレマイオス朝
アレクサンドリアを知れば知るほど、Fさんの見た夢の不思議さ、凄さに思い
至ってしまいました・・・
The Rise and Fall of ALEXANDRIA
(アレクサンドリアの興亡)~主婦の友社 より 序文抜粋
・・知の都市アレクサンドリアの中心にあったのは財宝ではなく、
ムセイオンと呼ばれる当時もっとも大きな研究機関と図書館だった。
プトレマイオス朝の後ろ盾を得て、このムセイオンは古代世界の
すぐれた文化や知性が出会って切磋琢磨する場となり、指折りの
学者、哲学者、詩人、発明家を吸い寄せる磁石となった。
エジプト人、ギリシャ人、バビロニア人、ペルシャ人、ガリア人、
フェニキア人、ローマ人がアレクサンドリアのこの地に集まって、
数学、天文学、占星術、錬金術、光学、医学、解剖学、文法学、
地理学、哲学、神学――要するに古代世界の知恵の集大成――
を飛躍的に前進させていったのだ。
アレクサンドリアのムセイオンのようなところは、過去にも、現在にも、
そしてそれ以降にも存在しなかった。
そこは、全世界の知識が集まるたったひとつの場所だった。
ルネサンスが現代世界へつながる「学びの再生」だとすれば、
アレクサンドリアは「学びの生誕の地」だ。
現代に生きる私たちの精神は、アレクサンドリアで産声をあげた
と言っても過言ではない・・


